「子どもの特性はガチャ」

 「子どもの特性はガチャ、性格もガチャ、食べるか夜寝るか暴れるか勉強ができるかおしゃべりが得意か体が丈夫かもガチャ」というツイート(https://twitter.com/jiyuunaokan/status/1279400957554511872)を見て、激しく同意した。今から思えば「わかっていなかった」としか言いようがないが、子どもが生まれる前の私は「読み聞かせをして面白い本を本棚に入れておけば子どもは読むし、ちゃんとしたものを作って食べさせていれば好き嫌いのない子に育つし、家でいろんな話をしていたら、いろんなことに興味のある子になる。ついでに、親が自分の読書や自分の仕事に勤しんでいれば、子どもも勉強くらいするだろう」と思っていた。

 でも違った。娘が生まれて半年くらいで、「この子は人の言うことに従うタイプではない」ということがわかった。タオルなどを「ちょうだい」と言ってみても、一度で渡してきたためしがない。気が向いたことしかしない。話しかけてもあくまでマイペース、公園から帰るときもあくまでマイペース。別に勉強ばかりに重きをおいたわけではないが、頭のいい子だな、と思ったら、学校の学びの系列は少々無視してでも、いわゆる「先取り」などもさせてもいいと思っていた。でもすぐに「この子はそちらのタイプではない」ということもわかった。息子も同様である。左に行きたければ行き、右に行きたければ行く。水たまりに入りたければ入る。2人ともとにかく「馬耳東風」で、同じことを10回くらい言ってようやく耳に届くが、それを行動として受け入れるにはまだなお20回くらい言わなくてはならぬ、という感じであった。さらに、それなりにちゃんとした食材でちゃんとしたものを作って食べさせたにもかかわらず、好き嫌いが多い。娘は徐々にそれがなくなったが、息子は今でもひどい。おかげでお弁当のおかずは三種類のヘビーローテーションである。

 勉強も同様だ。最近になってようやく気づいたのだが、勉強ができる子、というのは「まじめさ」または「負けず嫌い」のどちらかを持っているような気がする。うちは引越しをしていないので、幼少時から知っている子がそのまま成長して高校生になっているわけだが、小さい時に「この子、頭がいいな」と思う子はそんなにいるわけではなく(2人知っている)、もちろんそれなりの下地はあるにしても、「いい成績を取りたい」とか「〇〇高校に行きたい」という思いがあって、そこに塾からの刺激や生来の負けず嫌いや生真面目さが加わり、いい成績をとっているようなのだ。なるほど、と思った(もう遅い)。

 では、うちはハズレのガチャを引いたのか、というと、そんなことは思っていない。小さい頃から、人の嫌がることを言ったりしたり、ということが全くない。からかったりおちょくったりもしない。人目を気にして萎縮したり、「ここでの正解は何だろう」と探ることもない。これは、本人にとっては楽だろうなと思う。まあ「〇〇点以下を取ったらゲーム禁止ね」と言えば死にもの狂いで勉強する、という子だったら楽だったなあとは思うが、そういう子ではなかったので仕方がない。あとは風に吹かれる柳のように、でも食い扶持だけはちゃんと稼いで幸せに生きていっておくれ、と願うのみである。


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