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岸和田のだんじり祭中止

 岸和田名物、だんじり祭の中止が正式に発表された。まあこれは前々から言われていたことではあるし、この状況ではやむを得ないかとも思うが、それが75年ぶり、と聞くとしみじみと考えてしまう。言うまでもなく、前回の中止は終戦の年のことで、ある意味それと同等の状況とも言えるわけか、と思うからである。フランスのマクロン大統領は3月に« Nous sommes en guerre. »(我々は戦争状態にある)と呼びかけたが、その通りなのかもしれない。お国の非常時、というのは、人々のあらゆる楽しみを奪っていくのだろう。

 ところでだんじりといえば、私が愛してやまない朝ドラ『カーネーション』の中心的なモチーフである。だんじりが大好きな糸子はやがて自分が大工方になれないと知り、自分のだんじりであるミシンと出会う。その後もだんじりとミシンは糸子を支え続ける。『カーネーション』がだんじりに始まりだんじりに終わること、そして尾野真千子の糸子の最終回もだんじりであったことは何度も語られているが、ここで一度、ドラマ全体でだんじりが何度登場したのかを整理しておきたい。

第1回)大正13年(1924)9月、だんじりの朝から物語は始まる。「うちの頭の中は、勉強よりも、着物よりも、だんじりでいっぱいです。」

第12回)ついについに桝谷パッチ店で働くことを認められ、糸子は晴れ晴れとした顔で大工方の泰蔵兄ちゃんを見つめる。もう糸子の夢は大工方ではなく、ミシンだ。

第21回)糸子は根岸先生に洋服の作り方を習いたいと思い、お父ちゃんに対して「ミシン買うてもらいたい」とど真ん中にストライクを投げて殴られて泣く。しかしその直後に「けど祭りはあります」(3回め)。糸子は「何があっても祭りだけはきっちりきてくれる」と満喫し「だんじりを見てるとちっこいことで悩んでるんがアホらしなります。」と頼もしい。

第37回)昭和8年、奈津の父が亡くなる。奈津は決して涙を見せず、糸子は「奈津のアホ。何強がってんねん。」と思う。そんな中、4回めのだんじりの日が来て、太郎がいなくなり、奈津が見つける。

第54回)戦争に行っていた勘助が帰ってくる。しかしお祝いの会に勘助は現れず、お腹壊した、という八重子さんの言い訳に呑気に笑う人たち。少しずつ不穏な空気が漂い、勘助はだんじりにもこない。糸子は「心をなくした」という勘助にあってショックを受ける。

第72回)昭和19年9月、だんじり中止。若い衆は皆戦争でいない。

第76回)昭和20年、今年もだんじりがない、と聞かされる。9月14日。だんじり小屋の前にみんなが集まる。直子が準備体操をする。「だんじりはわしらの命や。わしら、今これ曳かれへんかったら、ほんまに終わってしまうぞ。」皆だんじりを曳く。直子も曳く。

第86回)昭和21年、戦争が終わって最初のだんじり。直子が曳く。「女の子でもだんじりを曳いてもええようになりました。」新しい時代が到来する。

第101回)昭和30年9月、だんじり。終戦から10年、引き手の数も揃ってきた。皆の集まる食卓で、優子は自分のことをアピールする。「うちは大阪におったらもったいないんやて。」東京の先生にスタイル画を見せると「そしたら、ぜひきなさいって言って下さったのー!!」

第118回)昭和39年9月。鳥山さんが聡子の作ったワンピースを試着して激怒する。14日のだんじりで、糸子は元気になった聡子に目をやりつつ、片っ端から料理を作る。だし巻きを失敗しても出す。これはだめ巻きだ。その次の回の放送で、糸子は周囲に引退宣言をする。大工方が交代するように、自分も次に番を回す、と言う。

第127回)昭和48年9月14日、だんじり。「今年もまた祭りがやってきました。」女は大忙し、年寄り組は飲み出し、北村もそこに混ざる。「チビはもう増えすぎて、どれが誰の子かようわかりません。」糸子の周りの人が全員揃う。伝説の「決めたもん勝ちや」の回。

第139回)昭和61年9月14日、だんじり。孫娘の里香は「だんじりってこんなにかっこよかったっけ。怖いだけかと思ってた。」という。

第143回)平成13年9月15日、だんじり。「世の中どんだけ小難かしゅうなったかて、祭だけは昔のまんま、ガラッと熱うて。けどお客さんの顔ぶれはずいぶん変わりました。」馴染みだった人たちが皆出世して、あほボンもいっちょまえの男になる。

第151回)平成22.9月。糸子はもうこの世にいないが、写真の中から皆を見る。朝ドラの話が来る。ソーリャ、ソーリャ、が聞こえ出す。そして平成23年10月、朝ドラは完成する。大正13年のだんじりの朝がくる。

 こうして全体を眺めてみると、物語の要所要所を楔のようにだんじりが押さえていることが改めてわかる。大工方になりたかった女の子が、自分だけのだんじりであるミシンを見つけ、岸和田の街を全力疾走するだんじりのごとく「夢見て愛して駆け抜けた」物語、それが『カーネーション』である。






 

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