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自己責任と優生思想について

 先日、灘中生がホームレス経験者の話を聞く、という企画があったこと、講義前に半数以上を占めていた「ホームレスになるのは自己責任」と考える人が、講義後には激減したということを紹介した。その時に、能力を全て努力の成果と考えると、このような自己責任論になる、という平野啓一郎氏のツイートも挙げた。その人の特性はまさに「ガチャ」であるので、どんな素質を持って生まれてくるかはそれこそ神のみぞ知るである、というのが、経験からしても私が納得できる考えである。そして、人は自分の特性を伸ばすように生きればいいと思っている。

 そんな折、とあるミュージシャンが優生思想丸出しのツイートをしていた、というのを目にして、早速読んだ。(https://twitter.com/YojiNoda1/status/1283752963052167169)。

大谷翔平、藤井棋聖、芦田愛菜三氏が「お化け遺伝子」の持ち主かどうかはともかく、素晴らしい能力を持つゆえんを遺伝子に求め、配偶者まで国家が介入して選ぶ、というのは、冗談だとすれば甚だ趣味が悪いし、非常に危険な思想であることは間違いない。さらに、いま日本ではびこっている「自己責任論」を払拭できる、「特性はガチャ」ということが、この「遺伝子特別視」の意見の前ではまたもや危険にさらされることになりそうで心配だ。子どもの特性がガチャである以上、できるだけ「当たりのガチャ」が引ける可能性を高めたい、という人が続々と出てきたらどうする?と思うとゾッとする。まるでサラブレッドの養成のようではないか。

 話は変わるが、友人に東大法学部卒業生と結婚した人がいる。男の子が一人いて、父親の学歴が申し分ないだけに、早期教育や受験に関しては非常に熱心だった。その子が小さい時のご夫君の言葉が「勉強に向いているかどうかは僕が見たらわかるから」、「向いていないとしたら君の遺伝子だから」だったそうで、まあ勉強に向いているかどうかは誰が見てもわかるとして、「向いていないとしたら」云々は余計だろう、と思った。それはさておき、幸いにしてその子は「向いている」子だったらしく、友人は熱心に早期教育に取り組んだ。話を聞くところ、電車が大好き、ということで、私だったら電車が大好きなら図鑑やおもちゃを望むだけ与え、乗りたい電車には乗りに行き、「大切なことは全部電車から教わった」にするなあ、と思ったけれど、その友人はそちらには進まず、入学前から問題集などに取り組ませていた。(それはそれでいいと思う。)で、その子もそれなりに結果を残し、第一志望の中学には落ちたものの第二志望の名門中学に通い、今年、第一志望だった中学の高等部に再チャレンジするそうだ。で、ちょっと怖かったのが、もしその子が勉強に向いていなかった場合、友人はどうしたのだろう、ということである。普段の言動から推して、学歴養成プログラムに見合わない不良品、のように扱ったのかもしれない、という気がしないでもない。それを思うと、まあ望み通りの子でよかったね、と思わずにはいられない。

 当たり前のことだが、すべてが努力だけで動かせるものでもないし、すべてが天性の能力だけですむわけでもない。でも努力できる能力を持っている人といない人があることは確かだし、同じことをするのにやたらと時間のかかる人と、あっさりとこなせる人がいるのも確かだ。それぞれが平和に自分の能力を活かし、円に生まれたのなら大きな円に、三角に生まれたのなら大きな三角になれたらいいねえ、と思う。




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