顧問の「毒」について

 中学生の息子の部活の「演奏お披露目会」に行った。息子は音楽系のクラブに所属しており、今年の春卒業した娘も同じ部だった。娘が入ったときの顧問は、音楽が大好きで呑気な数学の男の先生で、みんなのほほんと楽しんでいたのだが、娘が3年生、息子が1年生になる時に異動となり、代わりに英語の女の先生が新顧問に着任した(ここで先生の性別を示したのは話をわかりやすくするためで、性差を追求したいわけではない)。この先生は前任校で吹奏楽部の顧問だったらしく、鼻のいい娘は「変な熱血っぽい」と言っていたのだが、その予感は見事に的中し、大会の参加の際には挨拶をすること、と言ってそのセリフまでプリントにして配布するし(そんなものわざわざ作らなくても、みんな挨拶くらいできますって)、保護者会に出てみれば話は長くまとまりはないし(絶対この先生、授業下手くそだろうな)、色々言いたいことのある先生である。ただ、演奏会の目的はもちろん子どもたちの演奏だ。このコロナ禍の中、練習日数も少ない中でみんなえらいよねえ、と思いながら聞きに行った。

 演奏前に顧問の挨拶があった。開口一番、「練習不足なのでお聞き苦しい点が多々あると思います」、「楽器が全然足りません、譜面台も足りません、そういう状況で練習しています」、さらに「そんな中であえて保護者会をした理由は、どんなに下手でも温かく聴いてくれるのは保護者だけだからです。全校生徒の前では失敗は許されません。もし失敗したら、ネット社会なのですぐに書き込みされて叩かれます」、で、聞いていて「は?」「は?」「は?」の連続、この辺でもう嫌になったが、話は続く。新入部員の話になり、仮入部が3日しかなかった、中には仮入部なしで入った子もいる、いや、もう入って練習してるんだから、その話も結構ですわ、とウンザリしながら聞いていたら、次に信じられないことを言われた。「楽器を決めるのに一番大切なのは先輩との相性です。」これが最大の「は!?」だった。いやいや、楽器を決めるのに一番大切なのは、本人がどれを弾きたいか、あとは手の大きさなど、物理的な条件が合うかどうかじゃないですかね、先輩との相性なんて、条件にすらならないことじゃないですかね、と心底驚いた。そこで思い出したのが、昨年の演奏会での挨拶である。「一年生は、来年後輩が入ってきます。その時に困らないように、今から『どういう子が教えにくい?』と訊いて、ロールプレイングをしています。」と言われたのだった。その時、この先生、何なの?と思った。部活で教えにくい後輩とは、たいていの場合やる気のない子だろう。だったらその子は入らなければいいのだ。一応、したい、と思って入ってくる以上、みんなある程度の準備はできているだろう。それをわざわざ、来てもいない問題児を想定し、ロールプレイングで練習って、そんなことをする暇があったら、楽器を弾いたらどうですか、と思った。その時の不思議な怒りが再びよみがえり、この人、全然変わってないな、と感じた。

 まだまだ話は続き、希望者数が少なかった楽器として、うちの息子が担当しているものが挙げられた。その時に「〇〇(楽器名)の担当は男の子二人です。この二人はタイプも違うし、仲良さそうには見えないんですが、本人たちに訊いたら仲がいいということだったんで、一年生にもそう伝えました。」と言われた。さっき最大の「は!?」だ、と思ったけれど、今回はそれさえも上回った。「ここでその話、必要ですか?」である。ちなみに息子と同じパートの男の子は、幼稚園からの友だちで、普段はそれほどくっついていないが、それはお互い知り尽くしているからだとも言える。そしてその子のお母さんは、私の数少ないママ友である。そういう事情も知らず、しかもその子たちの親が来ている前でそういう話をするとは、何のためだろうか、と、この辺りからウンザリを通り越して怒りがふつふつと湧いてきた。子どもに一番近いのは、あなたではなくこちらの方だ、と思った。

 ここから、練習指導についてさらに話は続く。「今の三年生は、ちょっと教えてもらったらできたので、先輩にネグレクトされていました。だから教え方がわかりません。」ちょっと待って、それはネグレクトとは言わない。少し教えられてできたのなら、それ以上いじらなくていいのは当然だ。さらにこの場合の「ネグレクトした先輩」は娘たちの学年のことで、内情も知っていたので、いやいや全然違う、と思った。今の三年生が教え方がわからないのは、わからないことがなかったからだ。勉強が得意だった人間が、「どこがわからないのかわからない」と言うのと同じである。さらに、教える必要がないのにかまい倒して「お世話した」と思うのは自己満足の迷惑行為に過ぎない。私なら断じて願い下げだ。それを「ネグレクト」って、愛を持って育てられなかったチンパンジーの子どもが母になって苦労する、という話じゃあるまいし、なぜそこまで子どものことを悪く見るのだろう、と思った。ちなみに帰宅後娘にこの話をしたら、「やっぱりズレてんな」と鼻で嗤っていた。娘たちが三年生になった最初の保護者会で、「三年生が楽器を粗末に扱います。蹴ったりしています。」と根も葉もないことを言われ、出席していた保護者(私の知り合いでもある)が激怒して、そのやり取りを送ってきたことがある。三年生はこの新顧問が育てていないので、何かとケチをつけたかったのか、真相は藪の中だが、とにかく話を悪い方に「盛る」傾向がある先生なのだ。

 まあとにかく、子どもたちについて、否定的な話を山ほど聞かされて、やっと演奏が始まった。演奏は、そりゃあウィーンフィル交響楽団並みとは言わないけれど(吹奏楽部でもオーケストラ部でもないので、これは比喩である)、ちゃんと上手だった。みんなの様子もひたむきでいじらしかった。終わってから思いっきり拍手をした。娘も息子もヤマハ音楽教室に通っていて、そこでクラスのコンサートがあるたびに、どちらの先生も「緊張の中、一生懸命弾いて上手でした!お家に帰ったらうんと褒めてあげてください」と言ってくださっていた。別に私は「子どもは褒めて育てるべし」とは思っていないけれど、一生懸命挑んだことは尊いこと、と思っているので、そこは褒める。ところがこの顧問は、そういうことを一言も言わない。人を褒めたら死ぬ病気なのかもしれない。今日の最後の挨拶も「ちょっとミスがありましたが」だった。どっと疲れたけれど、お見送りしてくれた部員の皆さんにはせめても、と「ありがとう!」と言って帰ってきた。

 この顧問の精神構造については、色々考察してみたい気がする。あれだけ他人を承認できないということは、もしかしたら自己承認が低く、かつ人を支配したいタイプなのかもしれない。だから子どもの出来栄え=自分への評価になるのかもしれない。自分が満たされていたら、人のアラばかり探したりはしないだろう。また、顧問はしているけれど、別に音楽が好きではないような気がする。好きだったら、楽器の選択の最大のポイントは先輩との相性、などとわけのわからないことは言わないはずだ。もう一つ、致命的に想像力のない人という気がする。そうでなければ、保護者のいる前で「この二人は仲良く見えないんですが」などと、何の結論にも達しないようなことをわざわざ言わないだろう。ついでに、人に対する敬意もない。自分の知らないことは、子どもから絶対にこない、と思っているタイプだ。言ってみればお山の大将である。

 というわけで、私からみた毒まき顧問の基本的な性格は、傲慢で、そのくせ自信がない、である。でも、相手が子どもなのでそこは突かれないと思っている。そしてそこに慣れてしまっているので、保護者会の相手が大人であることを忘れてしまうのかもしれない。



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