政治的発言について

 今さら、という気がしなくもないが、自分の中で結論を見たのはつい最近のことなので、この機会にまとめておく。

 芸能人が政治的な発言をすることについて、私は違和感を覚えたことがない。ものをいう権利は誰にでもあるのだし、それなりの責任を背負って発言しているだろうからだ(一つだけ、「安倍首相にお疲れさまを言いましょう」にはゾゾゾと思ったが)。けれど世の中では、きゃりーぱみゅぱみゅがハッシュタグをつけて発言しただけでファンが嘆いたり、歌手だから知らないだろうけど、というような、明らかに若い女性を見下すオヤジそのものの発言があったり、またキョンキョンが発言してみれば「不倫してたくせに」と言われたり(不倫と発言とは何の関係もない)、なかなか囂しかった。なぜこんな現象が起こるのだろう、とさまざまな記事を読んだ結果、芸能人は人を楽しませる存在であって、意見を言ってはいけない、という掟があるらしいとわかった。また、意味の深そうなメッセージを発信すると、受け手はコンプレックスを刺激されて相手を叩くのだそうだ*。大変なことだ。

 さらにあれこれ記事を探しているうちに、モヤモヤをすっきり晴らせてくれるものが見つかった。それをここで紹介しておく。5月16日に発表された、憲法学者志田陽子さんの記事である**。

 志田さんの論は明確だ。日本人は、天皇以外は皆政治的発言をしてもいい。また、表現の自由という観点から、専門家と一般人の発言に優劣はない。そして興味深かったのは、次の記述である。すなわち、憲法上の精神の自由は、受け手もそれぞれ自分で判断できる、ということを前提にしている、ということだ。これであらゆるモヤモヤが氷解した。つまり、一人一人が成熟していれば、自由で平等に政治的表現のできる社会が現れるわけだ。先日紹介した内田樹氏の論には、「民主主義は、市民が成熟していないと機能しない」ということが書かれていたが、それと同じことである。すなわち、誹謗中傷をする人は、精神的に成熟していないわけだから、放っておけばいい。全部真に受けて心を痛める必要はない。また、芸能人がピント外れなことを言っても「大好きな○○くんが言ったことだから」と鵜呑みにするのも愚かなこと、ということになる。

 それでは、成熟していない人間は発言してはいけないのだろうか。無論そんなことはない。志田さんは、専門家の意見と一般人の意見を分けて考えるべきだという。欠陥のない家に住みたい、というのは誰しも願うことだが、その時に建築士の資格は必要ない。それと同じことで、発言する際に専門家である必要はない。専門家は、一般人のそういう声をキャッチして行政に届ける。それが国会である。(これは中学校の社会で習ったことだが、最近の国会を見ていてこのことを忘れていた。)つまり、発言権は誰でも持っているので、芸能人だから、とか、歌手だから、とか、何も知らないから、などと批判することに意味はない。

 これを読んで、今の日本がいかに成熟していないか、ということがよくわかった。今後の方針として、成熟していない人が投げつける悪口、誹謗中傷は鼻で笑って無視、いろんな人の発言は、その人の本質を見る機会と受け止めて大いに観察、さらに自分でもいろいろ考えるための刺激、ととらえて考察、というスタンスで行きたい。

 


*https://bunshun.jp/articles/-/37760

**https://news.yahoo.co.jp/byline/shidayoko/20200516-00178828/



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?