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「推し」を初めて直接見た時の思い出

 Twitterのタイムラインにリリー・フランキーさん関連のツイートが流れてきて、リリーさんのそばにいた尾野真千子さんが「綺麗すぎてやばかった」、という内容だったので、私が初めて尾野さんをリアルで見た時の喜びと興奮について綴っておきたい。

 『カーネーション』でオノマチ沼にはまり込んだ私は、過去作品を探しては片っ端から見る、というソロ活動を始めた。中でも『火の魚』は、同じ渡辺あやさんが脚本を担当していること、『Mother』で「この人何者?」と思った時にNHKで紹介された、女性編集者の役がこのドラマだと知ったことから是が非でも見ねば、と意気込んでいた。作品を見るまではHPに紹介されている劇中写真の折見さんを見ながら想像をふくらませ、ついに2012年2月の末、NHKのオンデマンドと契約してこのドラマを見ることができた。知的で端正な居住まいの編集者は、もちろん「小原糸子じゃ!」のだんじり娘とは別人のようで、目の動き一つでいかようにも語ってみせる表情も魅力的だったし、時代を超越した美しい言葉遣いは、そこだけ「時は大正」どころか「明治」のようで、またクライマックスの金魚のシーンでは、この後折見さんが泣く、ということは百も承知であったにも拘らず、その感情のこみ上げる表情に「こんな風に泣くのか!」と意表を突かれ、一視聴者の私でさえ、ここまで不意を打たれたのだから、折見を憎からず思っている村田省三なら、この瞬間に本格的に恋に落ちるんじゃないか、などと余計なことも考えつつ、とにかく一時間、瞬きも惜しい勢いでこのドラマを見たのだった。私がどのくらいこのドラマにハマったかというと、室生犀星の原作を買ったことはもちろん、挿入曲として使用されていたプーランクのCDも買って、病院で村田が折見さんを見つける時のあのピアノの旋律を見つけ出して喜んだりする、というレベルだった。その直後の3月3日、あの伝説の「うちは宝抱えて生きていくよって」の名言と、伝説の「決めたもん勝ちや」の回が放送されて私が魂を抜かれたようになっていた日の夜にこの『火の魚』が放送され、めでたく録画も入手することができた。以来、何百回見たかわからないこの『火の魚』は、『カーネーション』と並んで今でもオノマチ出演作の一位二位に燦然と輝いている。ちなみに(って誰も聞いていないが)、第三位は詩人谷川俊太郎と『千と千尋の神隠し』挿入歌「いつでも何度でも」の作詞者筧和歌子が監督を務めた写真映画『ヤーチャイカ』、Huluのオリジナルドラマ『フジコ』、池端俊策脚本の『夏目漱石の妻』のいずれかかな、と思っている。

 初めて『火の魚』を見て2年半ばかりが過ぎた2014年夏、ふとしたことから「呉映画大学」で、尾野真千子・渡辺あや・黒崎博による『火の魚』トークイベントが開催されることを知った。広島なら日帰りも可能だ。これは行かねばならぬ、と決意して、私は新幹線の切符を買い、単身呉入りを果たした。広島駅で新幹線を降り、呉線に乗り換えた頃から、尾野さんがいるんじゃないかと辺りを怠りなく見回していたのだが、天下の女優さんがそんな無防備に東京から電車でやってくるはずもなく、知らない人ばかりの車内からずーっと海が見えることに感動しながら、初めての地に降り立った。この日のトークイベントは、あの高畑勲監督が『かぐや姫の物語』について語り、その後『火の魚』を見てから三人による語り、ということで、高畑監督の話もとても深く、私は自分が『かぐや姫の物語』をいかに浅くしか見ていなかったかを少々恥じつつ話を聞きながら、でもメインイベントはあくまでも鼎談、と待ち遠しく思っていた。高畑監督の話が終わった後、思いがけず主催者から写真撮影の呼びかけがあって、この時に「だったら尾野さんも現れるのでは」という期待が生まれ、私はホールの入り口をずっと見ていた。

 そこに、ノースリーブの白いシャツに黒い細身のパンツ、ヒールの高いサンダル、という出で立ちで、やや茶色い髪をサラサラとなびかせつつ、尾野さんが颯爽と現れたのである。「きれーい!」と思った。実は私は、人の美醜にあまり興味がない。いや、もちろん美しい顔は好きだが(ダビデ像とか)、顔に見とれてその人が好きになるということはあまりない。尾野さんのファンになったのも、その演技の的確さに惚れ込んだからで、尾野さんが美人か否か、ということは、あまり考えたことがなかった。そんな私でさえ、尾野さんに抱いた第一印象は「きれーい!」であり、そしてなぜか「フランス人みたい!」だった。もともと、角度次第で大正の人にも現代風の彫りの深い人にも見える、ということはわかっていたが、その日の尾野さんは小原糸子ではなく、シャルロット・ゲンズブールだった(って誰やねん、という人のために簡潔に述べると、セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンの娘で、『なまいきシャルロット』(1985)という映画で映画界に新星として現れた)。とにかく、これが女優オーラというものか!というものに溢れていた。どんな庶民的な役がハマろうが、それはあくまでも演技であり、やっぱりこの人は女優さんなのだ、ということをまざまざと見せられた日であった。その後のトークは、高畑さんの話に負けない深くて豊かな内容で、詳細はこちらに記している。 https://www.twitlonger.com/show/n_1sphgru

 この次にリアルの尾野さんに会うことになるのは、2016年4月9日、河瀬監督が主催した「萌桜祭り」だった。『萌の朱雀』でみちるが歩いた道を私たちもたどってみよう、という試みで、あの場所が好きな私は「みちるがいたらどうしよう!」と冗談半分に思いつつ参加したら、なんと本当にみちるさんがいたのだったが、この時の尾野さんは「女優オーラ」を見事に消し、さながら「大人になったみちる」そのもので、こちらにも驚かされた。しかしこれはまた別の話である。



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