授業態度を評価することについて

 日本の教育が評価基準としてきた「態度」についての本がある、と岩波新書編集部がツイートしていた。(https://twitter.com/Iwanami_Shinsho/status/1287765942093508608)そしてこのツイートで引用されていたのが、「中学時代、授業がアホらしくて漫画か岩波新書を読んでいたら、テストがいいのに4をつけられた」というものだ。https://twitter.com/shu_yamaguchi/status/1287379149863006214
このツイートでさらに闇を感じたのが、その評価の理由が説明されない、ということである。校則もそうだが、きちんとした説明ができない評価というのはハラスメントと言ってもいいのではなかろうか。


 ここからはただの偏見だが、学校の先生は「頑張った人」が好きである。人間の能力はすべて平等で、努力したかしないかが結果に出ている、と思い込みたい人にとって、不器用だけれど一生懸命、というのはそれだけで胸を打つのだろう。また、そう思っていなくては人にハッパをかけられない、というのもある。しかし、小学校・中学校の先生で子ども時代にズバ抜けていた人、というのは少ないのではないだろうか。知能が高くていわゆる「浮こぼれ」する子どもの退屈などは、全く理解できないのではないか。
 小学校一年生の頃、娘が一度だけ泣いて帰ってきたことがある。聞けば先生に「話を聞いていない」と言われたそうで、でも「ちゃんと聞いていた」と言う。基本的に私は先生たちを刺激したくないので、「必要以上に文句は言わない、けれどいざとなったら剣を抜く」と思っていたが、この時ばかりは「剣を抜く時だ」と思って学校に電話した。すると「話を聞く姿勢ができていなかったので叱りました」と言われた。「聞いていなかったんですか」と尋ねたら、それには答えず「聞く姿勢ができていなかったので」ということだった。「出た!」と思った。うちの娘は小さい頃からボーッとしていて、全然話を聞いていないように見えるのだが、実は聞いている、というのは、ヤマハ音楽教室に付き添っていてわかったので、「聞いていないように見えても聞いているんですが」と言ったところ、「聞く姿勢、ということを授業でも言っています」という返事だった。思わず「じゃあ姿勢が取れていればいいんですね」と言ってしまって「言い過ぎた!」と思ったけれど、自分の歩んできたアホらしい日々がよみがえり、娘に「ごちゃごちゃ言われるのも鬱陶しいから、聞く姿勢だけは取りなさい」と訳のわからないことを言ってしまった。
 また、昨年の息子の個人懇談でのことである。「授業中、時々やる気がないときがあります」と言われた。「それは態度が悪いということですか」と聞いたら、「顔がぼーっとしている」ということだった。また「出た!」と思った。息子もだいたい覇気がないというか、ぼーっとした男である。学校の先生が好きな、目をキラキラさせて授業に食いついていくようなタイプではない。「あんた、授業中にぼーっとしてるの」と聞いたら「そういう顔やねん」と言われた。それは身内なので非常によくわかる。この時も「ちょっと大きめに目を見開いときなさい」と訳のわからないことを言ってしまった。それにしても、先生はいちいち子供の顔を見て、「この子はやる気がない」とか「この子はやる気に満ちている」とか判断するのだろうか。理解度をチェックするとか、他にすることもたくさんあるだろうに、暇だなあ、とつくづく思った。

 ちなみに、先の「中学時代、授業がアホらしくて」のツイートにつけられていたリプライが、「意欲、関心が低いのはダメですね」とか「周りもいい気はしない」とかで、はあそうですか、と思ったのだった。うるさくして人の邪魔をするのならともかく、内容が理解できていて静かに漫画を読んでいるのだったら、何の問題もない。何のためにテストの点数があるのだろう。小学校の時、いい成績でも褒められず、むしろやや成績が振るわなくて真面目な子、授業中に手を後ろに組んでまっすぐ前を見ている子が絶賛されていたよなあ、と暗い思い出がまたよみがえった。


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