尊厳死の旗振り役って何ですか?

 維新が尊厳死プロジェクトチームを立ち上げたそうだ。それについて、共同通信の短い記事があるので、リンクとともに全文を掲載しておく。

日本維新の会の馬場伸幸幹事長は29日の記者会見で、筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の嘱託殺人事件を受け、政務調査会に尊厳死を考えるプロジェクトチーム(PT)を設置すると発表した。また、ALSを患うれいわ新選組の舩後靖彦参院議員が「生きる権利」の大切さを訴えるコメントを公表したことに関し、「議論の旗振り役になるべき方が議論を封じるようなコメントを出している。非常に残念だ」と語った。https://www.jiji.com/sp/article?k=2020072900915&g=pol

 はっきり言って、「ちょっと何言ってるのかわからない」レベルの発言である。「議論の旗振り役になるべき方」とは何か。この文脈からすると、当然「尊厳死を進めるべき人」ということになるだろう。そして、生きる権利を訴えれば、尊厳死の議論を封じることになるのだそうだ。つまり、馬場幹事長の発言は、ALS患者である舩後議員は尊厳死しろ、と言っているに等しい。この発言の狂気じみた奇妙さについて、冷静に(←あくまでも)見ていこう。

 まず、前にも書いたがこの事件は安楽死の問題であって尊厳死の問題ではない。安楽死は積極的に死を望むこと、尊厳死は延命治療をしないことである。さすがに「安楽死の権利」と表現すると「死を望め」と言っているようで憚られるので、尊厳死という言葉にすり替えたのだろうか。

 次に、尊厳死しろ、というのは矛盾だ。尊厳死というのは、助かる見込みがないときに、本人が望んで延命治療をしないことであり、基本は言うまでもなく「本人が望んで」である。なぜ延命治療をしないことを選ぶべきだと他人から強要されなくてはならないのか。

 そして、最も許しがたいのは、この発言が要するに「治る見込みのない人間は死ぬべき」と言っているからだ。このあと、定例記者会見で松井代表がこの発言について答弁していたが、こちらも「生きる価値には個人差がある」とかわけのわからない答えに終始していた。つまり、代表も、「あの発言は人としておかしい」とか「政治家としてあるまじき発言である」などとは思っていない、ということだ。「お金のかかる治らない病人は死んでください」という考えが、透けてみえるどころか露骨に丸出しになったわ、と(まあ前から知っていたけれど)改めてゾッとした次第である。 



 


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