大坂なおみ選手のボイコットと撤回について

 アメリカで、黒人男性が警官に狙撃された事件を受け、大坂選手は準決勝まで進んでいた大会のボイコットを表明した。しかし今朝になって、そのボイコットを撤回するという発表があった。

 これについて私が驚いたのは、Twitterでは大坂選手を批判する声が多かったことである。また日刊スポーツでも「違和感がある」という甚だ曖昧な、論点がよくわからない記事が発表されていた。Twitterで好き勝手にいうならともかく、記者が記名記事を書く以上、その「違和感」の根拠を、個人的な体験などではなくきちんと示すべきでは、という気がしたけれど、その記事への反論はここでは置き、ただコンパクトに、大坂選手の行動と大会側の対応についてまとめておく。

 まず、大坂選手は抗議のため、大会を棄権することを発表。→主催者側も抗議表明し、大会を一日延期して大坂選手に出場を要請。→大坂選手は主催者側に賛同し、改めて出場を決める。という流れである。よって、ここには大坂選手と主催者側の意思表示があり、双方の意思が一致したことによる合意の再出場と見るべきだと思う(ほかのスポーツでも同様の動きがあった)。

 このように、何か理不尽なことが起こったらそれに対して意思表示をするというのが重要だと思うのだが、日本ではこれはなかなか難しそうだ。しかしそれでも、大坂選手の意図、主催者側の対応とその意図、大坂選手の撤回の経緯と意図をそれぞれ知った上で意見をいうことが大切ではなかろうか。闇雲に「責任が!」とか「わがまま!」とか「構ってちゃん」などと言って叩くのはトンチンカンである。

 ちょっと話はそれるが、総理の辞任表明についても同様のことを感じた。健康問題は誰にとっても最重要課題なので、治療に専念され、回復されることを願うが、それとは別に、国会を開けという野党の要求を無視し続け(これは憲法違反)、また新型コロナウイルス対策でも迷走し続け、河合夫妻の問題、森友・加計の問題、桜を見る会の問題など、何一つ解決していない。そのことはやはり総理として問題だと思うのだが、ひとたび辞任ということになると、急に「今までありがとうございました」モードに転じ、批判的なことを言ったら人非人、のような雰囲気が(Twitterでは)感じられる。もうちょっと「それはそれ、これはこれ」と分けて考えてもいいのではないか、という気がする。


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