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「ロックとは矛盾がないこと」

 一度何かを好きになると、とりあえずそれに対して集められるだけの情報を集める。最近セカオワに凝っているので、CDとライブのDVDをめでたくコンプリートし、先日セカオワ完全本とSaoriちゃんの『読書間奏文』も買った。そしてnoteにあるライブレポを読みあさり、そこからついにウワサのSaoriちゃんのブログにたどり着いた。2009年、まだセカオワがライブハウスを自分たちで作り始めた頃からの歴史がそこには書き込まれており、2015年が最終更新になっているのだが、Saoriちゃんの文章の心地よさもあって一気に全部読んでしまった。その中に、はっとした一言があったので紹介しておく。

「そうか、じゃあ君にとって何がロックなんだい」と問われればちょっと困るが、答える。「矛盾がないことです」矛盾がないというのは、凄くカッコイイ。理性的であり、反衝動的でもある。それは永遠に近く、反時事的でもある。             (2009.11.15. https://ameblo.jp/sekaowa/entry-10388692214.html)※本文の改行は省略しています。

 「矛盾がないこと」、物事に対して、これほど潔い定義があるだろうか。ピンと背筋が通って、しかもそれが持続している。単に正直だけなのではなく、それを俯瞰する冷静な眼差しもある。素敵だ、と思った。

 昔々、中島みゆきが自分の心に正直に音楽を作り続け、それがいわゆる「ギター一本で恨み節」などという下らないレッテルから離れつつあった時期がある。その時に「前の方がよかった」という人たちもいたし、「ロックになった」という人もいた。その声に対し、みゆきさんは「ロックって、何かうるさくて聞き逃せないもの。そういう意味では、私はずっと言葉のロックをやっているつもりだった」と答えていた。高校生だった私はそれを聞いて「カッコイイ」と思った。以来私にとって、ロックというのは「信念をまっすぐに届けるもの」である(体制に乗っているとか乗っていないとか、反抗心とかそういうことはどうでもいい)。Saoriちゃんの言葉にもそれに通じるものを感じて、久しぶりにちょっと感性が醒まされるような気がした。

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