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好きな言葉について

 シンガーソングライターの谷山浩子はかつてエッセイの中で「好きな言葉は『たばことみかん』である」と書いている。「たばこ」でも「みかん」でもなく、「たばことみかん」なのだそうだ。でもなんとなく言いたいことはわかる。意味ではなく、音の響きと字面がかもし出す感触の問題なのだろう。

 ところで、私の好きな言葉は「〜でございます」と「〜と存じます」と「滅相もない」と「恙無く」である。なんやねん、と思われるかもしれないが、これらは室生犀星原作、渡辺あや脚本のドラマ、『火の魚』で、主人公「私」こと老作家村田省三が出会う編集者、折見とち子の言葉遣いなのである。折見とち子、とはまた風変わりな名前だが、これは実在の編集者で、室生犀星と親しく、本の装丁も手がけている栃折久美子さんのアナグラムである。

 名作『火の魚』については、以前も書いたことがあるので、私があのドラマにどれだけのめりこんだかは繰り返さない。一番わかりやすいところでいうと、折見さんの居ずまいに魅了されたのである。若い娘でありながら、今時誰も使わないような言葉で話し、常に背筋を伸ばし、顔の表情を変えることなくいつも冷静で淡々としている。言葉遣いも決して崩さない。そのくせ、海藻で浜辺に巨大な龍を描き、美しい影絵も作れるという不思議な才能を持っている(原作ではお菓子も作り、手袋も編み、とにかく手先の器用な人物であることが強調されている)。そんな折見さんに老作家の村田は次第に惹かれていくのだが、その折見さんの「品」を作っているのが、この古めかしい言葉遣いなのだ。

 折見さんが人形劇の人形を作っていたことを知った村田は、それをやってみせろ、と言うのだが、折見さんはそれを「滅相もない、ただの素人芸でございます」と言って断る。また、クライマックスシーンで、折見さんの見舞いにきた村田に対し、あとのことは別の担当者が「恙無く進めて参ると存じます」と言う。この言葉遣いに、私はクラクラするほど惹かれた。そこで、折あらばこの言葉を使おうと機会を狙い、身にに余ることを言われると「滅相もない」と断り(これは口語で)、また引き継ぎの時に一度だけ「恙無く進めて参ると存じます」も使うことができ(これはメールである)、たいそう満足していた。こういう言葉を使っていると、なんだか自分が知性溢るる人間になったような気がする。よって、これからも積極的に遣っていきたい。(しかし、いつ、どこで。)

※画像はドラマ『火の魚』の中で折見さんが取った魚拓である。目は後で筆で入れることになっている。この魚拓は村田省三の小説『蜜の罠』の表紙となるが、これは室生犀星が『蜜のあわれ』の表紙に栃折さんの魚拓を使ったことと重ねられている。

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