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「生き延びる」こと

 三浦春馬さんが亡くなった。とてもショックだ。あの端正な居ずまいと、役柄に関してでもなんでも、ひたむきな感じが好きだった。今日つくづく思わされたのは、「生き延びる」ことの強さである。

 私が人生で大切なことの多くを教わったと思っている朝ドラ『カーネーション』に、「生き延びや」というセリフは二回登場する。一度めは、第73回、昭和20年1月3日の神戸における松坂家のお正月である。おじいちゃんに少し痴呆の症状が出始め、伯父さんは糸子に「お前のこと女学生と思っとるで。」というのだが、糸子がおじいちゃんに「うちいくつや?」と訊くと「30くらい。」とちゃんと答える。それに対し、おばあちゃんは冷静に「時々我に返るんや、返らんでええ時に。」と言う。こういう、ちょっと切ないやりとりがあったあと、暇乞いをする糸子におばあちゃんは言う。「糸子、あんた、生き延びや。また顔見せてな。」

 その後、伝説の「お昼にしようけ」があり、安岡のおばちゃんが八重子さんに辛く当たる話もあり、ついに八重子さんは息子たちを連れて婚家を出ようとするのだが、そこに糸子は閃いて、八重子さんに「パーマ機買お!」とけしかける。そして第79回、糸子は昌ちゃん、八重子さんと一緒に、パーマ機を買いに東京まで出かける。八重子さんは無事パーマ機を買って夢心地、糸子たちは胡散臭い木賃宿に泊まる。そこに「泥棒!」の声があり、同じ宿に泊まっている男たちが出て行った後、糸子が押し入れを開けると、中には子どもがいっぱいいる。普段は声も大きく、自分を抑えることのない糸子だが、こういう時には声を出さない。昌ちゃんが叫ぶと子どもたちは逃げて行く。しかしそんな中、糸子の布団の中に一人、女の子がいた。これにも糸子は黙っていて、ただ手を握りしめる。朝起きると女の子は姿を消し、帯の中のお金は取られている。「ほんなわけで、結局生地は買えませんでした。」その後、やっと帰ってきた糸子に、子どもたちが飛びついてくる。布団の中にいた子とは違い、ちゃんと重くて元気な子どもたちだ。糸子は芋けんぴやらお芋やらを広げて昌ちゃんに泥棒の女の子の話をする。昌ちゃんは「ちょっとくらいくすねてお菓子くらい買うたんと違いますか」などと無責任に請け負い、糸子は昌ちゃんにしょぼくれた顔で「そうやろか」と言う。そこに、ナレーションで「生き延びや。おばちゃんら頑張ってもっともっとええ世の中にしちゃるさかい、生き延びるんやで。」という声が重なる。このシーンは大好きで、当時録画をして何度も見たものだ。

 三浦さんの心の中で何があったのかはもちろん全く知らない。やむにやまれぬ何かがあったのかもしれない。それでもやっぱり、生き延びなくては話にならないと思うのだ。生き延びてしまえば20年後、たいていのことは何でもなくなっているかもしれない。

 いじめられて毎日が辛い人がいるとしよう。でも生き延びさえすれば、20年後、そのいじめっ子は多分周りにいない。いたとしてももう何もできない。その時こそ堂々と睨んでやればいいのだ。どんな才能があろうと、若くして亡くなってしまえば残せるものは限られる。できることなら生き延びたい。




 

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