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ALS患者の死について

 ALSの女性がSNS上で知り合った医師二人に薬を投与するよう依頼して亡くなった事件について、大阪市の松井市長は直ちに「尊厳死を議論すべき時が来ている」などと発信した。(https://twitter.com/gogoichiro/status/1286146724180815877

ただし、この発言には色々問題がある。まず、松井市長は尊厳死と安楽死を混合している。尊厳死とは、末期の状態にある人が、延命措置などを断ること、安楽死は、合法的に医師の手を借りて死を選ぶことである。また、患者が生きる希望を持つような手立てがなかったのかを全く考えず、一足飛びに「尊厳死」などと言い出すあたり、利益を生まないからと文化施設を潰し、教員を減らし、保健所や病院を削減していった政党の考えそうなことだと思う。
 これについて、鳥取大学の安藤准教授が毎日新聞に書いた記事が非常に参考になったので要約しておく。(https://mainichi.jp/articles/20200725/k00/00m/040/156000c)

(要約) 
 日本では安楽死は合法化されていないが、要件を満たした場合は患者を死なせても違法性が退けられる、とされる。しかしそのためには、医師は苦痛を緩和することに力を尽くさなくてはならない。よって今回のように、主治医でもない医師に薬物を投与してもらう、というのは、安楽死でも何でもなく、ただの殺人である。さらに、この医師の一人は、高齢者を「枯らす」などとブログに書いており、高齢者、体の弱った人を社会の役に立たないものと見なしていたことが透けて見える。その点で、この事件は2016年の相模原事件に近い。
 さらに、患者が「死にたい」という場合、本当に死にたいというよりは、自分の気持ちを理解してほしい、という方が強いことがある。また、患者の考えもその時々で変化する。そのため、安楽死を認めているオランダやスイスでも、患者は何度も意志確認を求められ、一時の思いで安易に安楽死へと進むことがないようにガードされている。今回の場合は、相手が真剣にこの患者を理解しようとすることで、違う道が開けたかもしれない。
 今回の問題は、命の価値を生産能力のようなもので測る風潮から生まれているのではないか。この事件で求められるべきことは、安楽死の法制化を問うことではなく、どんな人も生きやすくなる社会について考えることである。

 役に立つ、立たないで人の価値まで決めてしまう風潮は恐ろしい。私は大体「役に立たない」とされていることが好きなので、なおさらそれを思う。形だけ見れば「命が助からないとされている病人が、他人の手を借りて望み通り死に至った」ともとらえられる事件だが、背景をよく見れば「絶望した病人」に「弱者を抹殺したい人」がお金をもらって嘱託殺人をした事件であり、その殺人者が、薬を手に入れやすい医師免許を持った人間だった、ということなのだろう。

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