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感覚的に理解すること

って、どうなんだろう。
今日、簡単な日本語訳にする問題と出くわした。
ぱっと見て頭に入ってくる感覚と、それを日本語に落とし込む感覚が異なりすぎている。

結局、自分が書いた日本語訳はやっぱり変になった気がする。

日本語から訳するとき、それらしき単語が頭に浮かんだのだが、なぜそれが出てきたのか、本当に正しい単語なのか分からなかった。
調べたら合っていた。

言語を勉強するとき、何故かいつも感覚で理解しようとしがちだなあと思う。
だから、正確性に欠ける。
今まで自己完結していたから、あまり困ったことがない。

わからん、ニュアンスで理解することってどうなんだろう。


先日、クールで熱心な医師に診察してもらった。
私は浅めの海の底で光を浴びながら、他の生き物たちと共存しそうな「海藻みたいな、変な先生」と表現した。
私にとって「変である」ということは、面白くて興味の尽きない対象という意味である。
それを聞いた、行きつけの店の店主はぎょっとしていた。
私のワードチョイスもあんまり良くないのかも。
感覚的に話しすぎだなぁ。
相手に理解してもらうという目的より表現したいという気持ちが走ると、このような言葉足らずになる。

言葉って難しい。だからおもしろいのかも。


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