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Green Talk 148 : ちょっとだけ不思議な体験と言葉たち


曇りの日が続いているせいか、湿気のせいか。
ベランダの菜園たちには、結構と、手と時間がかかっております。

今朝はオレガノケントビューティー を剪定し、イタリアンパセリ もほんの少しだけ収穫。

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そんな中、少し不思議な体験をしました。
なのでこれ以降は言葉もちょっと不思議な感じです笑。

私、ベランダでの日々を過ごし初めて数ヶ月、時には癒されたりもしているのですが。やっぱりどこかで。
「手がかかる」と思っていました。
「順調に問題」とも、昨日まで、思っていました。

昔だったら、きっと「大変」とか「対処」や「排除」という言葉でそれと対峙していました。
最近は、それが「当たり前」や「普通」「順調に問題」という気持ちにつながってきていて。

そして、なぜか今朝、せっせと鉢変えやら追肥やらしていたら。
その言葉さえ消えてしまいました。

ふと自分を省みると。
私自身も手がかかる存在でしたし、今もです。
順調に問題も発生してきた人生です。
それでも厭わず向き合ってくれた家族や友人がいて。
そのなかで、たまに逃げもありつつのなんとか向き合い続けた自分がいます。

そうおもうと。
私がベランダに作り出している菜園は、本当に”私”と”菜園”と分かれたり、私が手をかけるという一方的な関係なのだろうかと。
私もその一部で、一方方向での繋がりとは思えない。
今いるハーブや花たちと同じく、私も社会の中で、それなりに手のかかる人でありそれなりに誰かを癒している人でもあるときもある。
そう思ったら。昨日まで思っていた言葉が消えたんですね。


ベランダの狭くて小さい場所でも、自然は力強い。本当に。
ときに疎ましく絡んでくる時もあります。苦手なことができたりした時。葉の病気などまだ出会ったこともない事で、おお!って思っても、逃してはくれません。
いやいや植物側からしたら私がそういうことを迎えている原因になりあの人は去ってくれないと思うのかもしれない。
互い、ある日訪れた変化や影響を赤裸々に相手に見せます。

それでも、その中で、やっぱり、ぐっと座り込みたいという自分がいます。
それは、巡るものたちの一部であることを、自分自身が認め選んだ瞬間だったのかもしれませんね。

不調和あっても、わたしはその一部で役割を果たし続け、探し続ける。

また、この映画をみたくなりました。