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第101回凱旋門賞に際して思うこと

いよいよ凱旋門賞が明後日(10月2日)に迫りました。

今年は日本から有力馬が4頭も参戦することもあり事前からの盛り上がりがスゴイですが、一方でどこか冷めた眼を持っている自分がいることに戸惑いを覚えています。

どうして冷めているのか・・・

ずっと考えてきたものの答えは出ずスッキリしない日が続いていたのですが、この度東スポさんのnote記事を見てはっきりと得心しました。

まだ心が折れたままなんです。

2006年の凱旋門賞、ワタシは友人と共にディープインパクトが出走するそのレースを観にパリ・ロンシャン競馬場まで行きました。結果については皆さまご承知の通りですので詳しくは語りませんが、

「ディープで勝てないなら、この先ずっと無理」

という諦念に支配され、それがずっと今日まで続いてきました。

ナカヤマフェスタオルフェーヴルがあそこまで惜しかったのだから、日本調教馬が凱旋門賞を勝つことは決して不可能ではない」

と思う人が多いと思いますが、ワタシはこの自己紹介で少し触れている通り競馬から離れてしまった期間(結構長い)があり、ナカヤマフェスタやオルフェーヴルの活躍はちょうどその時期にあったことなので、その両馬の活躍はリアルに感じていないのです。

競馬から遠ざかってしまった時期、ワタシは海外駐在地で仕事にプライベートに充実した日々を過ごしており、その時があったからこそ今の幸せに繋がっているのでその「競馬ロス」については全く後悔していませんが、そのロス度合が「日本調教馬が凱旋門賞に出走したことを知らない」ほどのレベルであり、さらに言うならば「オルフェーヴルが知らない間に三冠を獲ってた」というぐらいの、もう素人以下の低関心度でしたので、

”フェスタによって、日本人はもう一度、前を向いたのです。”

には全く当てはまらないのが自分です。

長~いトンネルの後、2019年6月の高知優駿をきっかけに再び競馬ヲタクに戻ることができましたが戻った先は何故か地方競馬ということで、「もう一度前を向く」には微妙な距離が残っている中、昨年のクロノジェネシスはあまり惜しくない敗戦でしたので「やっぱ勝てないか」と、正直言ってまだこの瞬間も完全には前を向けていません。

ただ、今年の4頭のスゴさは分かりますし、「今回こそ最大のチャンスではないか」という気もしますので決して斜に構えるようなことはしませんが、もう日本調教馬にはとっとと勝ってもらって、次は「凱旋門賞のその先」に向かって前を向けたらなと思っているのが率直なところです。

では、「凱旋門賞のその先」とは何か。

アメリカで大きなレースを勝つことか、それともまた日本に海外の強い馬がいっぱい来るようになることか、正直自分の中で結論というか具体的に見えているものはありませんが、とりあえず今はフワッとですがその両方とも、ということでしょうか。いや、どちらかと言うと後者ですね。

何と言うか、日本から海外への一方通行というのがちょっと満足できないというか、これだけ素晴らしい競馬がある日本に対して世界から来る流れが無いのが歯痒いのです。もちろん、よく言われる高速馬場への指摘などは理解した上で、です。

よく「ジャパンカップの役割は終わった」と言われていますが、それならば次の役割を担うものを作っていけば良いかと。必要であれば天皇賞にすら手を加えて、国際招待レースにするという大胆なことを考えて良いかも知れません。

ざっくり区分すると、欧州・香港は芝、米国・ドバイはダート、豪州は長距離。

ならば日本は「芝とダートの両方」という欲張りでも良いでしょうし、どうせなら「東アジアミーティング」(勝手に命名)という枠組みにまで昇華させて、

日本:芝中長距離、ダート中距離
香港:芝短距離・マイル
韓国:ダート短距離・マイル

という分担を行っても良いかも知れません。

①芝1200mが無い、②ダート1600mが欠陥、というのが東京競馬場の弱点ですのでそれを日本の他の競馬場で補うのもアリですが、東アジアの他の競馬場で補うのもアリなのではと思っています。だって、シャティンとソウルは芝/ダートそれぞれ専用の立派な競馬場で、すでに国際競走の開催実績が豊富な訳ですから。普段は競うけどたまには協働しても良いのでは?とも思います。

・・・そのような、今後日本競馬は世界の中でどのようなポジショニングを狙っていくのか、というところを一ファンとして想像や願望を行いつつ、それをこれからのワタシの競馬の楽しみ方の一つにもしたいなと、そんなことを考えさせられているのが今回の凱旋門賞でもあります。

まずは何はともあれ明後日の勝利ですね。今からとても楽しみです。

今回もご精読ありがとうございました。

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