じゃがいも畑と空

貧困・戦争に関心をもったきっかけとそこから現在教育に関心をもつに至った経緯 #1

自分の中にある想いなどなどを整理したくて、noteに書いてみることにしました。長文になるのでFacebookではなくnoteを使ってみます。現在の仕事の話はではなく私自身の内容になります。青年協力隊に参加したあと教育に関心をもつに至った経緯や教育に関する活動をしている団体、教育について思うことを投稿していきたいと考えています。過去を振り返るのはあまりよろしくないとされておりますがこれをまとめていくと、今こう思ってますとか、これをしたい!と書いていくのがよりしやすくなって、もっと前に進めるのではないかという淡い期待もありまして・・・。

仕事においてもアウトプットすること、その質を向上させることが大切だと感じており始めます。言語化すること、論理的に述べることとっても苦手です。でも何事も始めないと上達しませんので、落合さんのnoteとか色々皆さんの参考にさせていただいて頑張ろう!

関心をもったきっかけは小山道夫さん!!

小学6年生のときだったと思います。ベトナムのストリートチルドレンを支援していた小山道夫さんのドキュメンタリー番組を見て衝撃を受けたのでした。外で、道端で寝起きする自分と同じくらいか少し年下の子供たちの姿に。

世の中には日本のような国ばかりではないということを初めて知りました。なぜ国によってこんなに違いがあるのか、子供達が道端で暮らすのはなぜなのか?疑問に感じました。
その後、中学・高校と進学するうちに貧困問題や世界でおこっている様々な争いや途上国と呼ばれている国々についてもっと知りたい、なぜその問題がおこるのかをただただ知りたいという気持ちが大きくなりました。中学校のときに当時インターネットは普及していませんでしたので、図書館にいって途上国で仕事ができる職業ってあるのか本を探して読んでみたところ、「国連職員」「青年海外協力隊」という仕事があることがわかりました。その本にはどうしたらなれるのかも詳しく書いてあったことを覚えてます。

国連職員は大学院を卒業し(しかも海外の大学院のほうが有利)、2ヶ国語を話せることが条件であり、ハイパーエリートではないとなれないとわかりました。子供ながらにお金めっちゃ必要だから私は無理と思い、国連職員は速攻候補からなくなりました。なので青年海外協力隊になりたいな、途上国に行きたいなと思ったのでした。

大学受験に失敗し、専門学校へ進学

その後、大学に進学し国際関係学を勉強をするぞ!と国公立の大学を受験。推薦入試でまず不合格になり(行きたかったな〜宇都宮大学の国際学部)。全国調べて偏差値が一番低い国際関係学部がある大学を受験するもそこも不合格・・・(涙)。私大は両親の経済力ではとても無理と思い行きたいなんていいだせず、大学進学は諦めたのでした。もう一度浪人(塾にはいけないので自宅浪人)をして来年受けるという方法もあったのですが、そこは挑戦しませんでした。塾に通わずに国公立大学に合格するということが可能と思えなかったのが一番の理由です(家が貧しいので塾に行きたいも言えなかったのでした^^; 下宿して高校に通っていたのも大きかったです)。そもそも塾に行かずに失敗したのにセンター試験にむけてどのように勉強したらよいのかわからなくて、自分で独自に勉強し、学力向上することの壁がとてつもなく高く感じました・・・。

大学進学はしないが母親に専門学校に進学したいと伝え、学費や生活費の面でやっぱり反対されたのですが、だだにだだをこねて(本来はもっと建設的なお話をするべきでした^^;)なんとか東京の国際協力に関する勉強ができる専門学校へ進学できたのでした。入学金や学費を支援してくれた両親には本当に感謝しています。奨学金とバイト代で生活費はなんとかなり2年間通ってました。奨学金は現在もまだ返済中です(笑)

話はかなりそれますが、中学の頃の勉強は頑張れたし、楽しかったのですが(先生の教え方がとても上手だったからとか授業が面白かったからというわけでは特別ないのですが)、高校の勉強は全くといっていいほど身が入らなかったのです。ど田舎の中学から少し田舎の高校にいってかなり学習スピードがあがったのと試験の範囲が膨大で試験前の勉強だけでは全くはがたたないこと、予習・復習の習慣がなかったことが原因です。しかし、関心があったり・疑問に思うことを調べてどんどんわかっていくことは好きだったなと思います。今も好きです。33歳になった今これこそが学びではないかなと感じています。こちらに関してはまた別途投稿します・・・・以上です。

次は専門学校に進学し、青年海外協力隊になるまでを#2として投稿したいと思います。



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