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猫が亡くなりました

8月4日の朝方、息を引き取りました。
11年、ずっとそばにいてくれました。
最期、がんばってくれました。
私たちの覚悟が決まらずに、ずっとめそめそしていたのを見て、たぶんものすごくがんばってくれました。
私たちが、ご飯をあげるのをやめる決断をしてもなお、がんばってくれました。
亡くなったときにどうするか、という話をようやくせざるをえなくなったタイミングで、お空に旅立っていきました。

つらかったね。
痛かったね。
気持ち悪かったね。
お薬苦かったよね。
最後は触られるのも痛かったよね。
管から入ってくるご飯、拷問のようだったよね。
トイレに行くのも息があがってふらふらで、途中でしてしまって、踏んでしまって、でも毛づくろいもする力がなくて、嫌だったよね。
(トイレを近くに置いても、最後までトイレの習慣づいた位置までがんばっていきました。)

猫のなんてんの運命。
私たちではない優しい人たちの家に行っていたほうが幸せだったのかもしれないって思うけれど。
私たちはなんてんに出会えてものすごくたくさんの幸せをもらいました。

ありがとう。
天国でたくさんおいしいものを食べて、お腹を出して安心して眠ってね。
鈍くさいけれどとても賢いなんてん。
食いしん坊すぎて一気に食べてよくそのまま口から出してしまうなんてん。
私たちの動きで、お風呂に入れられると敏感に察知して隠れるなんてん。
爪を切ったり、嫌がることをしたりしても決して嚙まなかったなんてん。
病気になって、強制給餌も点滴もつらかったはずなのに、ひっかいたり噛んだりしなかったなんてん。
一時的に回復したときも、きっと体はつらかったはずなのに、追いかけてきてスリスリして、お腹を撫でさせてくれたなんてん。

大好きななんてんを失って、なんとなくSNSから遠ざかっています。
もう少し時間がかかるかもしれません。

それでも。

息を引き取った日に仕事ができてしまった自分がこわい。
今も、仕事の合間でこれを書いているけれど。

やらなければならないことがあるのは救いでもあるし、残酷でもある。

私は、なんてんを一人ぼっちでいかせてしまったことを悔いています。
どうして寝てしまったんだろう。
どうしてリビングで寝なかったんだろう。
なんてんは、最後の瞬間、私たちを探していたと思います。
朝、まだぬくもりのあるなんてんに、ただあやまることしかできなかった。

私たちがもらった幸せが大きすぎて、何もあげられていない自分が悔しい。
しばらくはこんな感じで堂々巡りの話しかできないので、もう少しお休みするかと思います。

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