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『信じる気持ちと疑う気持ち』

マタイによる福音書27:57〜66
(2024/3/31)

イエスの死に伴った不思議な出来事

 今日の箇所は、イエスの十字架上の死と復活の間の出来事について記されている箇所です。この箇所の前では、マタイ福音書においては、イエスの死に伴い、いくつかの不思議なことが起こっています。27章51節から53節。(P.58)

「27:51-53 そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。」

 これらの記述の中において、「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け」た、というのは、神殿の一番奥の至聖所と呼ばれる神の箱が置かれている場所とこの世を仕切る幕が裂けたということで、神の存在が、神殿の奥深くの大祭司が1年に一度しか入ることのできない場所ではなく、イエスという存在を通じて、イエスの死によって、その意味を失ったということ、大祭司や祭司のみが立ち入りを許される場であった神の場が、すべての人への開かれたことを示しています。この箇所は、マルコにもルカにもある内容で親しみがあるかもしれません。

 しかし、それに続く、「地震」や「墓が開いて…聖なる者たちが生き返った」という記述は、マタイ福音書のみに記されている特殊資料で、他の福音書には記されておりません。ですから、マタイの書き加えと考えられます。そして、マタイ福音書の著者の思いとしては、イエスの死が、旧約聖書において神によって約束された事柄であるという徴として書き加えられたことと言えます。そして、もう一つの理由として考えられることは、次の箇所、百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちの信仰告白、「本当に、この人は神の子だった」ということを説明するためのものと言えるでしょう。マタイとしては、この百人隊長の告白が理解できなかった。それを説明するために、「地震」が起こったこと、「死者が墓から出てきた」ことも、書き加えられたのでしょう。


受難と復活の対称性

 福音書におけるイエスが死に至る受難物語と復活の物語では、ある対称性があります。それは、受難物語がこれだけはっきりとした記述がされており、4つの福音書において、ある程度の統一性が保たれているのに対して、復活の出来事に関しては、あまり統一性がないということです。そして、そうしたことも復活への疑義へとつながっているでしょう。

 話は変わりますが、聖書の中における奇跡的な出来事に関して、真実であるかどうか、歴史的な事実であるかどうか、ということは、キリスト者であるとかないとか、に限らず、わりと幅がある課題ではないかな、と感じています。例えば、モーセが主なる神の力によって、海を割ったという記事があります。チャールトン・ヘストン主演の1956年の映画のよって、杖を上げたモーセに答えるように、海が左右に割れて壁のようになる、という場面が印象的です。しかし最近では、そのような場面ではなかったのではないか、という理解が広がっております。元来の出来事とは、浅瀬の海を軽装のイスラエルの民は、軽装で歩きだったので、その海を渡ることができた。しかし戦車に乗って追跡してきたエジプト軍は重装備であり、動けなくなった、といった理解です。

 また、聖書の読み方、受け取り方において、何が真実であるかどうか、何が虚構であるか、ということは人によって違います。そして、人によって、そうした読み方や受け取り方は自分とは違うとか、その内容によっては、受け入れられない、という方もおられるでしょう。そしてイエスの復活については、キリスト者にとっては最大の関心事であるということは、間違いがないのではないか、と思うのです。


疑う気持ち

 今日の箇所、27章62節にピラトに進言している「祭司長たちとファリサイ派の人々」は、自らの立場を守るため、自分たちの正当性を守るためにも、もっともイエスに復活してもらっては困る人たちであったと言えるでしょう。そうした意味で言えば、イエスが復活したかどうか、という事実、また真実さえもどうでもよく復活してもらっては困る、復活したとしても、それを否定する、という立場の人であったと言えるでしょう。

 また、イエスが神の子であるかどうか、ということにおいても、キリスト教を攻撃する立場から、ある批判がありました。イエスの誕生に関してです。ご存知の通り、マリアはヨセフとの結婚前に聖霊によって、神の意思によって、身ごもったとされています。それに対して、2世紀頃、キリスト教を批判する立場から、ギリシアの哲学者がイエスは神の意思によってみごもったのではなく、実は、イエスの父親はローマ兵でありそれを隠すためにそんな話がでっち上げられたのだ、という主張をしたのです。これはキリスト教を擁護する立場の本から知られていることなのですが、いかがでしょうか?

 様々な受け取り方ができる主張であると言えます。そんなバカな!ありえない!と批判することもできます。イエスは確かに聖霊によって身ごもったのだ、と反論することもできるでしょう。そして確かにそれはデマといえば、デマです。何の根拠もなく、イエスが生まれた時代に、あの地域で活動していたあるローマ兵の墓標が発見されただけであって、何の根拠もないわけです。まさに、キリスト教を攻撃するため、イエスを攻撃するためのデマにすぎないわけです。しかし、これを信じたい人もいるわけですよね。何の根拠もないのに…。また一方、私個人としては、だから?と言って、イエスが神の子であること、キリストであるということと何の関係もない、揺るがない、と思っておりますが、当然、違う受け取り方の人もおられるでしょう。


信じる気持ち

 今日のテキストに戻って、イエスの復活について考えてみたいと思います。祭司長とファリサイ派の人々は、イエスが収められた墓を見張るように、ピラトに進言し、イエスが埋葬された墓の入口は大きな石で塞がれ、見張りが立つようになりました。しかしイエスは3日目に復活することになります。その時、見張りの者たちは眠っており、墓の前の石は動かされて、イエスの遺体は失われていた、と記されております。

 イエスの復活という出来事は、その第一段階として空の墓というキーワードで、まず実現しました。見張りが立っていたという疑いの姿勢も超えて実現したと言えるでしょう。また、その後、女性の弟子たちの前に現れ、そして一二使徒たち、多くの弟子たちの前に復活のキリスト、蘇ったイエスは現れました。考えてみますと、おそらくは、イエスの復活を疑った人たち、イエスの復活を望まなかった人たちは、イエスの復活を受け入れなかったでしょう。また、たとえ復活したイエスが目の前に現れたとしても、様々な理由をおつけて、その事実を否定し、その復活を疑い、受け入れなかったでしょう。


空の墓という始まり

 今日の説教題は、「信じる気持ちと疑う気持ち」としました。復活伝承の最初にある空の墓というのは、いわばゼロであると言えます。そのゼロの状態から疑うのか、信じるのか、始まりからして、異なっているのかもしれません。その間には、深い溝があると言えます。イエスの復活を信じない人々にとっては、ある意味で、どのような奇跡的な徴があったとしても、眼の前にイエスが現れたとしても、イエスをキリストとして信じることはないでしょう。しかし逆に、イエスを神の子と信じる人々、救い主であると信じる人々にとっては、空の墓というゼロの出来事ですでに救いが完成している、イエスの復活が実現した徴であると言えるのです。

 今日は、聖餐式を執り行いますが、聖餐式は様々な意味がありますが、受難と復活を覚えてのイースターに守られる聖餐は特別なものであると感じています。受難週において木曜日には、イエスが弟子たちの足を洗った洗足の木曜日として覚えられています。英語では、「Holy Thursday」。そして金曜日は、イエスが十字架上の死を遂げた受難日として、英語では「Good Friday」として祝われます。木曜日の夜、イエスと弟子たちは最後の晩餐のときを持ちました。イエスは、その場でペトロもユダもそして裏切ったすべての弟子たちの足を洗い、またパンとぶどう酒を分かち合いました。私たちも罪ある身ながら、イエスの食卓、聖餐に招かれています。イエスの死と復活を思い、この時を守りたいと思います。

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