行さん
神佛霊像図彙という江戸期の書物をもとに、神様仏様を紹介していきます。
わしがこの奥の院に来てからもう何年になるかのぅ。 この奥の院は険しい岩山のてっぺんにあるが、 あまりに険しいので、 ほとんど人が登ってくることはない。 ただ本山開山の大聖人様が建てたお堂であり、 秘仏の観音像が祀られているので、 何ヶ月か住み込みの様な形で僧がお世話をすることになっている。 あまりに高く険しいところにあるので、 時に「天空の奥の院」と呼ばれることがある。 また巷(ちまた)では「天国に最も近い奥の院」などとも言われているそうだ。 仏教で天国だのなんだのと言うのは
伊黒と甘露寺‼︎ このシーンは泣ける😭 若くしてその命を終えた二人。 けれども、 魂はそれで終わってしまうわけではない。 想いは不滅。 生まれ変わって定食屋の夫婦になれて本当に良かったです。
私は一回修行で逃げ帰ってきたことがあります。 何をやらせてもとろくて、 暗記して憶えることの多くは私にはできなかったですし、 夜の眠気に打ち勝つこともできない。 駄目駄目すぎるくらい駄目だった私は、 文字通り修行道場から逃亡したことがあります。 逃げるなんて、 そんなのもう人生詰んだ様なものだ、 これからは何をやっても壁を乗り越えることはできない 駄目人間として生きて行くしかない・・・ そんな風に思いましたが、 私はそこから今のレベルまでは人生を立て直しました。 むしろ逃げ
私の大学の卒業論文は、 「金剛経における菩薩の考察」 でした。 金剛経は金剛般若経のことで、 数多い般若教典の中でも初期の経典である金剛経をもとに、 大乗仏教運動の中心となる菩薩という存在について考察したものでした。 B評価だったので少し残念でしたが、 この時に書いたことはその後ものすごく役に立っている。 何せ、 自分がお坊さんとなって金剛経を読む立場になったのだから、 驚きである。 大学生の頃は坊さんになるとは思わず仏教を勉強していました。 そして「なんでこんな将来に
クノウエンは人里離れた寂しい山奥にある。 クノウエンは人生の苦悩でどうしようもなくなってしまった人を集めた施設である。 どうしてこんな山奥にクノウエンはあるのか。 都会の空気はより苦悩している人たちを苦しめかねないからである。 ネオンの光などはもっての他である。 さらにまわりの人にマイナスの影響を与えかねない。 語弊を恐れずに言えばクノウエンの人たちは隔離されているのである。 「私ほど不幸な人はいない!!」 バイオリン弾きのオルフは言いました。 「私の愛したあの人は突然私に
中天竺の釈迦国の浄飯王を父とし、 摩耶夫人を母とす。 浄飯王即位三十年卯月八日寅刻、 誕生し七歩を踏み、 手を以って上下これを指して曰く 「天上天下唯我独尊」 と号す。 「神佛霊像図彙」を参照にしていますが、文章など同じではありません。漢文の難しいところは適当にしてます。 有名な天上天下唯我独尊という言葉ですが、 解釈は実はたくさんあります。 禅的に解釈するならば、天地いっぱいの我という存在を「オギャー」という声と共にお示しになられたということになるでしょう。 すなわ
「神佛霊像図彙」という江戸期の本があります。 昔の佛さま辞典みたいなものですね。 この本をもとにシリーズで神様や仏様を紹介していきたいと思います。 一番最初は傅大士(ふだいし)です!! 絵は私が書きました!! 梁朝傅大士 名は傅翕(ふきゅう)、字(あざな)は玄風、善慧大士または東陽大士という。 十六歳にして劉氏を娶り二子をえて、普成(ふじょう)普建(ふけん)と名付ける。 ある時、自身の水に映ずる影を見て廓然として大悟する。 それから昼は妻子をたずさへて農事に没頭し、 夜は