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3/22 「化石しないでください」

おはようございます。
冷え込みが厳しかった今朝、布団の中で『アタゴオルは猫の森』のあとがきを読んでいました。ますむらひろしが作品を描いたときの背景などを綴っていて、このあとがきを読むともう一度読み返すことになり、延々とループが続くという境界危険エリアでございます。

今回、第3巻のあとがきに引っ張られた。

「化石シナイデクダサイ」。噛みしめていきます。

宮沢賢治が心の友・保坂嘉内に宛てた手紙の中にこの言葉があった、と知りました。それにしても、
「化石シナイデクダサイ」とはどういうことなのか。
その前後の内容は何なのか。

さっそくネット検索して、問題の言葉を「ひとでなしの猫」さんのblog『校本  宮澤賢治全集  第十三巻  書簡』の中に発見。

「154 〔八月二十日前後〕 保阪嘉内あて」(大正八年)より:
「保阪さん。化石しては我々はもう進めなくなりますから化石しないで下さい。祭り上げられてはもうあなたの考へてゐることができなくなりますから祭りあがらないで下さい。もっとほんとうのことを言せて下さい。県を代表して東京へ出る人はあなたの外に沢山居ますからそう云ふことはその人たちにお任せなさい。そしてあなたは何もしないがいゝ。私なら何もしない。今迠云ったことはみんな私ならのことですよ。私なら何もしない。みんなの食物をうまく大地のやつめから盗みとって、貰ふのではなく、うまくぬすみとってやらうとも思はず大豆粕で最上等飛切の羊羹をつくらうなんとはてんで考へない。私の父はちかごろ毎日申します。「きさまは世間のこの苦しい中で農林の学校を出ながら何のざまだ。何か考へろ。みんなのためになれ。錦絵なんかを折角ひねくりまわすとは不届千万。アメリカへ行かうのと考へるとは不見識の骨頂。きさまはとうとう人生の第一義を忘れて邪道にふみ入ったな。」おゝ、邪道 O, JADO ! O, JADO ! 私は邪道を行く。見よこの邪見者のすがた。学校でならったことはもう糞をくらへ。アンデサイトアグロメレートが何となされた。うまいことを考へることは広告詐欺師へ任せる。世間がわき立たうが八釜しからうがみんなおれのこのやかましさ、かなしさ苦しさの一部に過ぎない。

ひとでなしの猫

なにも知らないワタシには難解この上ない手紙ですが、賢治が保坂嘉内に対して、素でぶつかっていることだけは感じ取れる。

化石シナイデクダサイ
ますむらひろしがこの言葉を「噛みしめていく」意味とは……。
浅薄ながら考える。
社会の流れを、それはそれとして眺めながら、土中に埋もれてしまうことのないように。簡単に言えば固まってしまわないように、かしら。
そういう意味では、無職ショローの一人暮らしも「化石しないように」しなたいものですな。

そして、もうひとつ印象的な言葉。
「あなたは何もしないがいい」
ら? ひょっとしたら、これって『アタゴオルは猫の森』の主人公ヒデヨシの生き方そのもの。
つい先日、「全力でなにもしない」宣言をしたばかりなので、またしてもタイムリーな言葉に「むふふ」とほくそ笑みます。
ヒデヨシ的には「なにもしないわよ~♬」、こんな雰囲氣でしょうか。

いいんだ、いいんだ、このまま行っていいんだ。
勝手にそう思って、勇氣凛凛してしまいました。
なんでもじぶんに都合よく考えるのが、ワタシとヒデヨシの共通点です。

さて、賢治の保坂宛の手紙を読むと、うすうす氣がつき始めていたものの、ハチャメチャ未知の賢治がいます。「あなたにだけはひとの悪口を書きます」なんて箇所もあって、今でこそ世界に誇る天才賢治も、保坂の前では生のニンゲンだったんだなぁ、と思います。作品だけを読んでいては分からない部分ですね。

ひょんなことから、今ますむらひろし作品を通して、また1歩賢治に近づいているのかもしれません。これもインターステラ的~。

夜は書庫猫のわこ17歳

ではでは、今日もご機嫌元氣な1日を。




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