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1/16 夢が変わってきた

おはようございます。
昨日、白山神社の月並祭に行きそびれ、そのまま室内でズルズル、だらだら、うだうだしていましたら、ご近所さんからたくさんの八朔をいただきました。ちょうど柑橘類が切れかけていたので大助かり。こちらでは、いつも、どなたかに、タイミングよくいただきものをしたり、助けてもらっています。つくづく良き土地に引っ越せたなぁと思います。

さて、最近夢が変わってきたという話。
以前、トイレの夢について書きました。▼

トイレを、プライバシー空間と見ると、夢の中でなかなかトイレにたどり着けないのは「プライバシーがない状態」のサインではないか、と。
その解釈がストンと腑に落ちたら、夢でトイレを探し回ることがなくなったのです。
しかし、まだまだ夢のトイレには悩まされる。
今朝がたの夢では、やむなく便座が壊れたトイレに入りました。隣のトイレには、実生活でちょっと縁が遠のいた知人が入っていて、軽い会話を交わします。彼女はワタシがトイレから出ても、まだ出てきませんでした。手を洗おうと洗面台に行くと、やはり知り合いがいて、手洗い付近の掃除をしている。自然とワタシも手伝う形になって、掃除を始めるんですが、やりだすと際限なく汚れが氣になって、本格的にやりだす。特に金属部分のモワとした曇り、照明の上に積もった埃、タイルの目地に溜まった水垢なんか、けっこう細かく掃除しました。
夢の中で掃除をするのは、ワタシの場合、かなりよくあります。

トイレ探しが終わって、トイレ掃除あるいはトイレ修理がはじまった。
プラバシーは確保したので、今度はプライバシーの改善をめざせ、と、そういうことか。
課題は次から次へと続いて、面白いし、実生活の軌道修正にもなる。

「縁遠くなった知人」もなんらかのサインでしょうね。
ちょっと前まで、現在はほとんどつきあいがない人たちに対して、呵責の念やら再開の期待やら、さまざまな想いが少しだけありました。
しかし、年末散歩中に、「ワタシからなんらかのアクションを起こすのは止めよう、連絡が途切れたのは必然でご縁があればまた会える」とふっきれたんです。
考えて動いたことには無理が出る。若いころなら、こうした無理が効く場合もあるけれど、ショローはシャレにならないので、宇宙のリズムに任せて、自発的な動きは極力抑えようと。
現在縁遠くなっていても、お付き合いしていたころのその瞬間瞬間は間違いなくかけがえのないときを共有していた。
それだけで十分です。

河合隼雄先生は対談の名手ですが、その理由は「嫌いな人とは対談しない」からだと思います。おそらく、たくさんの対談の申し出を断っているはずです。断りには苦痛も伴いますが、その苦痛があるからこそ、実現する対談の質がよくなるんではないかしら。
氣持ちが伴わない付き合いはしない、今後はこれでいいかな、と思っています。
トイレの夢から、このようなことを考えた朝でした。

ではでは、今日もご機嫌元氣な1日を。






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