人がつくる娯楽の本気

 今日は 数日前、吹奏楽部の定期演奏会に、放送部として手伝いに行った時のことを話そうと思う。

 私の仕事は舞台裏でのアナウンスで、1文ずつをたった2回。滞在時間はざっと4時間半。単なる感想とすれば暇であった。ただ、こういう役目を受けて、改めて気づいたことがある。

 演奏会なんてものは、言ってしまえばただの娯楽だ。しかし、この日のために三 四十人もの演奏者と、その他私を含めた裏方の人たち。私が見ていない範囲でも、きっと多くの人達の手がこられたものだ。舞台の照明一つにしても、次々と色や動きが変わっていて、もちろん演奏もそれ相応に素晴らしかった。

 ただそれだけの当たり前のことではあるが、多くのことで細かい人達の手が加わっている。例えそれが誰にでもできる仕事だとしても、多くの人を必要とする。

 演奏会を終えて、改めて人間の本気みたいなものを感じた。簡単な目的といば、ただ演奏を披露することだと思う。それをただ盛り上げるために、素敵なものにするために、多くの手をかける、 人としての特権みたいなものに深く気がづいた。

 普段何となく生きている私たちの世界には、様々な工夫が成されている。いや、それらによって作られた世界がある。ならば、人として生まれた私はこの世界を精一杯生きて、これら娯楽を是非堪能したいと思う。

  あなたは、誰かや何かの目的のために、みえないを努力したことはある?

 


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