世界樹の魔法使い プロローグ

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 荒れた砂漠に、容赦なく熱線をそそぐ太陽。砂は熱を吸収してカラカラに乾き、もやもやと熱気を立ち上らせていた。
 乾いた風が強く吹き荒れ、空に黄色い砂煙のベールがかかる。すると、太陽は姿を隠し、薄暗くなった周辺は、熱気と熱砂が吹き荒れる不気味な空間となった。太陽と共に見えていた澄んだ青と、微かに弧を描く地平線は消え、四方八方が体力を奪う熱と、目や肺を責める砂に覆われてしまうのだ。
 ここは、何もない孤独な砂漠。光、風、砂、全てが熱を持つ灼熱地獄であり、水という命の源を蒸発させていく、生命の渇水地だ。
 だが、そんな環境の中で、燦然と聳えているものが一つだけある。砂が巻き上がれば熱砂の牢獄と化し、いかなる時でも、人の心や生命を軽々と挫いてしまうような地に、それは聳えている。
 その名は、『砂漠の世界樹』。
 世界樹を見た者は、驚嘆するだろう。
 その姿は、星一つを支えているのではないかと錯覚するほど巨大で、近づくほど、際限の無い生命力に溢れているからだ。
 幹は雄々しく堅牢な城壁のように伸び、枝葉は瑞々しく伸びている。下から仰げば、枝葉が大地を覆いながら天を目指しているのが見え、葉の隙間からこぼれる木漏れ日が、見る者を優しく照らす。
 人は砂漠の世界樹を見れば、ひれ伏すだろう。
 それほど、砂漠の世界樹は偉大だった。
 だが、本当に世界樹にひれ伏すことがあれば、その者は魔法使いにひれ伏す事と同じかもしれない。なぜなら、砂漠の世界樹は魔法使いの手によって創造され、常に彼らの力によって成長を促され、維持管理されているからだ。
 故に、砂漠の世界樹は魔法使いにとって力の象徴であり、世界中の魔法使いにとって、憧れの聖地でもあった。
 その内部には、魔法使いにとっての中枢機関と、一般人にも強い影響力を持つ機関が、いくつも存在している。つまり、砂漠の世界樹は、ただの魔法使いの聖地ではなく、彼らの中枢機関でありながら、一般人をもまとめ上げる、世界の中枢機関だということだ。
 過酷で利便性は皆無の地でも、砂漠の世界樹は全ての人間に影響力を持つ。
 それは決して悪いことではない。
 その影響力の強さは、この一万年近い歴史に安寧と平和をもたらし続けているからだ。

***

 それは三年前の出来事だ。
 相変わらず世界樹は幹と枝葉を天に伸ばし、瑞々しい生命力に溢れていた。辺りは遠近感を失いそうな青い空と、淡く黄色い砂漠に包まれていて、砂の色に隠れるような色合いの家々が、世界樹の足元に町を作っていた。
 この時、二十四歳になったばかりのジョイナーは、魔法使い御用達の黒いローブという格好で、町のメインストリートの端に立っていた。彼は建物に背を預けながらポツンと立ち、フードの奥に暗い瞳を覗かせながら、うだるような熱で苦しそうな呼吸を繰り返していた。
 彼に誰も声をかけることはない。
 それは、誰も町の中に姿がないからだ。
 この時、彼以外の職員は昼の休憩を済ませて、世界樹の中に戻っていた。だが、ジョイナーは戻るような素振りを一つも見せず、堂々と規則に違反していた。
 昼の休憩を知らせる鐘がなろうとも、他の同僚が昼食を食べに行こうとも、声をかけられようとも、まるで石像のように、その場を動こうとしなかった。
 彼はただ街道の先にある砂漠に焦点を合わせながら、心の中で叫んでいた。
(今日あいつは帰ってくるはずなんだ!) と。
 蒸し焼きにされるほどローブの中が熱くても、ひたすら水分がもっていかれても、大切な一人の女性を待っていた彼は、一歩たりとも動くことはなかった。
 彼を知る者は、その様子を見て驚いただろう。
 当時の彼の見た目や性格から考えると、到底予想がつかない行動だからだ。
 人々が抱いていた彼の印象は、根暗、受動的、感情がないといった、ネガティブで機械的なイメージだった。
 実際、その印象を裏付けるように、丸い眼鏡を通して見える彼の目は、伏し目がちで鈍い光を灯すだけ。無駄な動きを見せないところは、どこか作り物のようで、人を寄せ付けない壁を作るには十分すぎるものだった。そして何より、業務的で必要以上に喋らないところや、命令以外で動かないところは、せっかく近づいてきた人を遠ざけてしまうのだった。
 そんな彼が、一人の女性のために、自分の意思を露わにしているのだから、驚かないわけにはいかなかった。
 ジョイナーは熱に耐えかねると、ボソボソとつぶやいて、魔法でローブを冷やそうとした。
 だが、世界樹に感づかれないような、極々小さな魔法では、風がローブの中を巡るだけ。無情にも、乾燥した空気と熱は、ジョイナーの水分を容赦なく吸い取っていった。
 時間が経つにつれて、体力が限界に近づいているのを実感していたジョイナーだったが、幸か不幸か天候に救われた。
 突風が熱い砂塵を巻き上げ、焼き付いた熱砂をジョイナーにめがけて浴びせかける。
 ジョイナーは顔の周りをフードで包み込みながら、その容赦ない責め苦に耐えた。
 その間、舞い上がった砂煙は太陽を隠し、徐々に空気を冷やしていった。
 熱から救われたジョイナーは、砂塵という新たな苦痛に耐えねばならなかった。
 それでも彼は、薄く目を開けながら、彼女がやってくる方を見ていた。すると、遠くからうっすらと、人影が近づいてくるのが見えてきた。ジョイナーは影を見つけると心臓を跳ねさせ、期待に胸を膨らませながら前に出た。
 一歩、また一歩、彼女が帰ってきたのではないかと。
 だが、姿を現したのは、中年男性の魔法使いだった。
「お前、魔法歴史研究局のジョイナーだな。どうした昼の休憩時間は終わってるだろ。戻らないのか?」
 ジョイナーを見た男は、訝しみつつ低い声でたずねた。
「――今日は彼女が戻るまで、俺も戻らない」
 小さく返されたジョイナーの答えに、相手の魔法使いは言葉を失っていた。
「ちょっとまて、それがどういう意味か分かってるのか……」
「――もちろん」
 男は再び言葉を詰らせると、ジョイナーに詰め寄って肩を掴んだ。
「昼休憩も仕事の時間も、全ては世界樹の命だ。それは我々、魔法使いが反して良いものではない。たった一度の背任行為でも、左遷じゃすまない。魔法使いの資格剥奪だってあり得る。さぁ戻るんだ……。今なら私の業務を手伝う予定で待っていたなど、フォローすることぐらいはできる」
 男はジョイナーに力強くも優しい目を向けてきたが、肝心のジョイナーは視線をそらした。
「あなたこそ俺に関わらない方が良い。下手をすれば、あなたにも罪状がつきつけられる。世界樹に目をつけられる前に戻ってください。これは、俺の独断行為です」
「っ!!――そうか、後悔するなよ」
 中年男性の魔法使いは、最後に憎むような視線をジョイナーに浴びせて、世界樹へと姿を消していった。
 ジョイナーは世界樹の人間でありながら、まだ仕事に戻ってはいない。
 それは、魔法使いにとっての名誉をかなぐり捨てるのと同意だった。
 砂漠の世界樹での勤務は、全ての魔法使いにとってのあこがれ。しかも、ジョイナーは魔法歴史研究局の研究員だった。今のレールに乗ってさえいれば、世界樹の高位である枢密院だけでなく、最高位である三聖老に昇ることも夢ではない。
 だが、地位も名誉もジョイナーには意味がない。普段からどれだけまじめで、規律や規則に対して厳格だったとしても、彼にとって最も大切なものは、自分に《二度目の生》を与えた彼女だった。
 魔法歴史研究局の同僚たちは、その事を良く知っている。だから何も言わず、ジョイナーのしていることを黙殺して彼女を待っていた。
 思い返せば、彼女が枢密院の人間と一緒に調査に入ったには二ヶ月も前のことだ。
場所は世界樹の地下史跡。内部の地図作成と実態調査が目的とする、魔法使いの歴史や、古代魔法を探る上で、最も重要視されているプロジェクトだった。
 調査や地図作成という内容だけ見れば、何の変哲もない普段通りの仕事だ。本来なら、定時連絡、経過報告、結果報告というプロセスを踏んで、無事にプロジェクトを終えるはずだった。
 だが、地下史跡に入る時の連絡を最後に、彼女からの連絡は途絶えてしまった。
ジョイナーを含む研究員たちは、何か不都合があって、連絡が遅れているだけだろうと思うことにした。常に一定である状況などないからだ。
 それでも、二日・三日と経過しても連絡がないと、さすがに魔法歴史研究局の研究員にも、じわじわと焦りの色が見え始めてきた。
 意図的に報告を怠っているとなると、職責を問われる重大な問題だったが、彼女の性格や勤務態度を考えると、到底考えられなかった。
 彼女の生真面目さが、待つ人の心を不安にしてゆき、安否を悲観的にしてゆく。
 最初は
『少し忙しいのかもしれない』
 少しずつ
『何か問題があったのかもしれない』
 そして
『何か事件があったのかも』
『襲われたのかも』
『内部が崩落したのかも』
『もうすでに二人とも……』
 と、いう具合に……。
 そして、通信がないまま一ヶ月を超えた時、ジョイナーは枢密院に飛び込んでいた。彼女と同行する枢密院の顧問官から、情報が入っていることを期待したからだ。
だが、一人の研究員がして良い行動ではない。高位の魔法使いに対して不敬な行為だ。
 それでも、彼女の安否を確認する方法があるなら、自身の進退など、どうなろうと構わなかった。
 荒々しい音を立てて飛び込んだ刹那、ジョイナーの喉元に守衛の刃がきらめいた。
ためらわず辺りに目をやると、超高層階の広大なフロアの奥に、枢密院の壮年・老年の男女が、自らが統べる世界を眺望しながら円卓を囲んでいる姿が見える。
 ジョイナーは喉元に刃を突きつけられたまま、奥に目がけて叫んだ。
「私は魔法歴史研究局所属、一級・破壊・太陽のサン・テンペスト・ジョイナーです! この度の地下史跡調査の情報開示を要求します! 現在、私たちの研究局には地下史跡に入ってからの情報が入っておりません。どうか、同行されているアブドゥル・カマラ顧問官からの情報を拝見させてください!」
 正規の手続きを踏まない狼藉にも関わらず、情報は難なく開示された。
 しかし、それは彼の思いが伝わったからでも、気持ちが理解されたからでもない。ただ、枢密院に開示すべき情報がなかったからだ。
 故に中身は空っぽ。実際、彼女はおろか、同行した枢密院の顧問官からも連絡は途絶え、状況は何一つとして変わることはなかった。
 ジョイナーが自分で彼女を探そうとしても、地下史跡に入る権限はなく、魔法でかけられた幾重もの鍵を解くこともできない。周りの動向を窺って災害時調査を請け負う軍事局や、治安と業務管理を行う監察監視局の動向にも全く変化はなかった。そして、相変わらず枢密院にも動きはない。トップの三聖老に情報が上がっている様子も見受けることはできなかった。
 事実を知ろうとしても手がかりはなく、闇の中を手で探るような状況に、辺りは次第に諦めの色を濃くしていった。
 その中で残った最後の希望が、今日の昼から夜にかけての、帰還予定日だった。
だからこうして、ジョイナーは熱にも砂塵にも耐え続け、仲間の研究員たちは誰一人として彼の行動に文句を言おうとはしない。
 夕方を迎え、空気に冷たさが混じり始めてくると、いよいよカウントダウンが始まる。太陽の陰りと共に汗が引いてゆき、寒気が感じられるようになってくる。ジョイナーは彼女が無事に帰ってくることを願い、彼女が現われるであろう地平線から目を離さなかった。
 風が止み、遠くを見渡すジョイナー。
 彼女の帰還を願う表情は情けなく、救いを求めるような瞳は、彼の方が消えてしまいそうで弱々しい。夕日が沈む前に帰ってきて欲しいと、どれだけ強く願っても、彼の想いに反して斜陽は無情に沈もうとしていた。
 まるで彼女の死を認めさせるかのように、黄昏が彼女の命の火を消そうとしていた。
 ジョイナーは待っていられなかった。
 きっと帰ってくるはずだ。
 その気持ちだけを頼りに町の外に向けて歩き始める。
 一度歩み始めると、その足はもう止まらなかった。静かに踏み出した足はすぐに駆けはじめ、彼女と会いたいと思えば思うほど、その速度を上げていった。
 立ち並ぶ家々が途絶え始め、町中に砂が増え始める。
 さらに駆けると、町並みは完全に途絶え、麓町の境を示す巨大な石造りのアーチと砂漠が視界に広がる。
 すると、黒い影が遠くからゆったりと迫ってくる姿が、目に飛び込んでくる。
 ジョイナーは、斜陽のまぶしさに目をしばたたかせながら、黒いローブを着たシルエットに目をこらし、相手の情報を細かくとらえようとした。
 足の出し方、腰の揺れ方、ローブから予想される体のライン、どれをとってもジョイナーが見続けてきた彼女に違いなかった。
 確信から全力疾走までは一瞬。
 ジョイナーが駆け出すと、相手も駆け出していた。
 迫る人影が輪郭を明確にしてゆき、彼の知る彼女と合致していった。
 相手がフードをはずすと、汚れきった青黒い髪があふれだす。微笑むような目も、美しく伸びた鼻梁も、薄い唇の間に見えるきれいに整列した白い歯も、ジョイナーが良く知っている彼女に違いなかった。
 だが、その姿は随分と疲労に満ちていて、ローブもボロボロになっている。
 驚きながらも、ジョイナーは彼女に触れたい一心で、腕に力を込めた。
 すると、それに答えるように彼女も口を開く。
 待ちわびた恋人との再開。
 全てが安寧と共に終わるはずだったが、彼女の口から飛び出た言葉は、思いもよらぬものだった。
 それは無事に帰還した事の喜びでも、ジョイナーに再び会えたことへの喜びでもない。
「ねぇ、なんで! なんでみんな、私に返事をくれなかったの!? 世界樹に何かあったの!? ねぇ、ジョイナー!」
 彼女の目から涙がこぼれ、ジョイナーは動揺した。
 むしろ連絡が来なくて慌てていたのは自分たちのはずだった。
 それにも関わらず、彼女は自分たちが返事をしなかったという。
 何があったのかは分からない。
 だが、互いの知る事実が錯綜しているのは確かだった。
 不安が喜びになり、最後に不気味というものに変わっていく。
 そして彼女は、『黒睦 夜滝』は、その一分後に命を失った。
 恋人であるジョイナーの腕に抱かれながら……。

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