世界樹の魔法使い 3章:三年前と元研究員⑤
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永遠とも思える夜が続き、時間の感覚を麻痺させていく。医務室にいる誰もが正確な時間を知らなかったが、尖塔の炎は静かに時間を語っている。それは、赤い火が三本灯った午前三時。深く沈みきった夜が、目覚める準備を始めるぐらいの頃合いだ。 ジョイナーが自身の事を話す覚悟を決めてから、医務室の中は緊張に包まれていた。
誰も口を開かず、ジョイナーが話し始めるのを待ち続け、静かな時に流れるキーンとした音が耳の中で小さく鳴っていた。
チュイは呪いでボロボロになってしまった体をベッドに沈め、その傍らでジョイナーが、静かな目で彼女を見ている。隣のベッドには、バルバロが大きな体をはみだしながらベッドに横になり、側に八重子が座っている。ケンブリーは、彼らの様子を見守るように、悲哀の募る表情で壁際に立っていた。
「ねえ先生、早く教えてよ……」
チュイが、小さくつぶやくと、ジョイナーは口元を引きつらせた。
「急かすなよ……。こっちの気持ちも少しぐらい整理させろ」
ジョイナーは回復力強化をしていた手の平で、チュイのツートーンの髪をグシャグシャと撫で回した。ぎゅっとチュイが目を瞑ると、ジョイナーは手を離し、指の間を滑り落ちる彼女の髪を見つめた。
それを数度繰り返して見ていると、ジョイナーは自分の事を話す覚悟も自然と整ってくるように感じた。
いつでも鮮明に思い出す事のできる苦い記憶。ここまでしつこくされたら、それをチュイには伝えてあげた方が良いとジョイナーは思う。彼女が付いてくるにしても、恋をしているにしても、彼と深く関わろうとする以上は避けて通ることはできないことだ。
ジョイナーは大きく息を吸うと、深いため息をついた。
「よし、じゃあ聞かせてやるよ……。俺は自分の過去を適当に教えるつもりはない。なるべく多く知ってもらうように伝えるつもりだ。だから、これから話すことは、ちゃんと聞け。俺の辿った道と、これから辿る道を、お前も一緒に共有できるかどうかが大事なんだ。それを自分で咀嚼して判断しろ。チー・チュン・チュイ。俺はお前にここまで追いかけられたからこそ、話そうと思ったんだ。そう思わせたからには、全力で聞け」
「はい」
チュイが返事を返すと、ジョイナーは表情を変えず真剣に頷いた。
そしてゆっくりと口を開く。
眠る子どもに物語を聞かせるように、落ち着いた優しい口調で……。
「――お前が知っているように、俺は三年前まで砂漠の世界樹で働いていた。
そこは天刺す尖塔とは真逆の灼熱地獄で、俺はケンブリーと一緒に魔法歴史研究局というところに所属していた。だが、今はもう魔法歴史研究局は存在しない。今となっては、完全に取りつぶされてしまって跡形も無くなっている……。だからといって、不良なセクションじゃなかったんだ。むしろ魔法歴史研究局は、世界樹の中でも重要視されていたセクションだった。あらゆる文献や遺跡を調査することで魔法の歴史を紐解き、魔法の根本が何かを解明していく。それは新たな魔法の開発や、未知の領域に踏み込むには大切なことで、得られる情報のほとんどが機密レベルだ。だから、俺たち魔法歴史研究局の職員は、枢密院に一番近いと言われるほど、将来を約束されたような部署だった。俺とケンブリーを含めた十名の小さい部署でな。その中には、俺にとって大切な女性も居た。名前は黒睦夜滝。俺が当時、将来を約束していた女性だ。そして、俺に二回目の命を与えた人間でもある」
夜滝の名前が出ると同時に、チュイの目が大きく見開かれる。
その、気持ちを隠さない彼女の挙動を見て、ジョイナーは困った顔をした。
「まて。しゃべるなら、俺の話を聞いた後にしろ」
チュイが喉にひっかかった言葉を飲み込むと、ジョイナー頷いて話を続けた。
「そう、あいつは一人の女である以上に特別な人間だった。信じられないと思うが、夜滝と出会うまでの俺はな、今では考えられないような性格をしていた。無気力で自分の意見などなく、表情は仮面のように変わることがない、全てに存在感を感じられないような、空っぽの人間だった。薄汚れた人形のような人間だった」
チュイと八重子が訝しむような顔をすると、ジョイナーは諦めたように溜息を吐きながら頭をかいた。
「でもな、実際に俺は、根暗で空っぽで寂しい人間だったんだよ」
それでも納得できないチュイは、端で見ているケンブリーに疑問を投げかけるような視線を向けた。
「本当だよ。オレだってジョイナーがこういう人間になるだなんて思ってなかった」
微苦笑してケンブリーが答えると、
「ほら、言ったろ……、今更、嘘なんてつかねえよ」
と、ジョイナーはイラッとしてチュイの額を軽く指で弾いた。
「――俺が死んだような根暗人間になったのにも、ちゃんと理由があるんだ。お前らは知らないと思うがな、サン・テンペスト家っていうのは、昔はケンブリーのフォルクス家と同じように、世界樹の枢密院にまで名を轟かせた貴族だったんだ。だが、まともな魔法使いが生まれなくなってからは完全に没落しちまっていた。
そんな家に生まれたのが俺の運の尽きだったんだ……。まともな魔法使いとして生まれた俺は、サン・テンペスト家が再興するためのコマにされた。毎日、親父の言うことに頭を縦に振り、どれだけ嫌なことでも首を横に振ることは許されない。当時の俺には、お前らのように天刺す尖塔の学生に選ばれる程の実力はなかったが、そのへんの魔法使いよりも卓越した実力を持っていた。その才能が故に、俺の全ては家に管理されていたんだ。
俺は完全に親父の操り人形になっていき、自我というものを失っていったんだ。親父の悲願を達成するために、ジワジワと壊されていったんだ……。
最も影響されたのは自分の価値観だった。自分が自分のために存在しているのではなく、自分が家のために存在するようになり、家自体が己の肉体のように密接に感じてくる。知らぬ間に俺は、完全にサン・テンペスト家再興のための駒として完成し、ただ無感情に無我夢中で魔法の訓練に取り組むようになっていた。
そんな時、俺は魔法学校でケンブリーと出会った。俺から見たらゴミくず同然の奴らしか居ない中で、こいつは一人だけ輝いていた。実力は俺と同じか同等以上なのに、こいつは学校の時間が終われば他の生徒と遊んでやがる。
俺の中で微かに残っていた幼い子供心が、ケンブリーに嫉妬していた。
こっちは家に帰ってから生傷を作って戦闘訓練をしているのに、こいつは遊んでいるんだ。それでいて実力があるなんていうのは、プライドが傷つけられてならなかった。
俺がケンブリーをライバル視し始めると、俺たちは少しずつ仲を深めていくことになって、互いに研鑽しあうようになっていた。
俺たちがしていた戦闘なんてものは、天刺す尖塔で学ぶ奴にとったら不思議じゃないかもしれないが、世間にとっては異常だった。
それでも、異常な教育は、功を奏す結果になった。
十八歳になって、民間の魔法特別訓練学校を卒業した俺は、見事に砂漠の世界樹に選ばれることになったんだ。もちろん、それも設計図通りに動かされた結果だがな……。
その時の俺は、サン・テンペスト家にのために、言われた事を厳格に守って過ごしてきた結果、心は完全に浸食されて空っぽになっていた。
ケンブリーが必死に俺の自我を引きだそうとしてくれてたのに、俺には自分という感覚が分からなくなり、その概念すら消えかかっていた。そう、自らの意識が肉体と魂の間に介在しない、ただの空洞のようになっていたんだ。
肉体を維持するための食欲や睡眠欲はあっても、自己保存のための性欲はなかった。
恋もせず淫夢も見なければ、夢精もしない。どんな女を見ても体は一切の反応を示さないようになっていた。
そんな壊れきった十八歳の頃、俺の前に彼女は現れた。世界樹に行った俺の前に……黒睦夜滝は現れたんだ。彼女は俺と対極だった。明るく溌剌としていて、自分の思うことに素直で能動的。そして嫌になるぐらい面倒見がよかった。
今考えれば、山を移動する黒睦一族の彼女にとって、あの性格は特徴みたいなものだった。流浪の民である彼らは、自分で動かないと放っていかれるし、互いに仲間を支えなくちゃいけないこともあるからな」
夜滝の話を聞いていると、八重子があごに手を当てて何かを考えている。
「どうした?」
「黒睦って、瞬間魔法の黒睦ですか?」
「そうか、確かに東の島国の話だからな、八重子なら里が近いかもしれない。お前の言う通り、瞬間魔法を扱う一族だ。彼らは声を発さずに魔法を使える不思議な一族だ」
「じゃあ私の家と同じなんですね」
「そうだな、神室も黒睦も、世界樹にマークされている。お前がこうして尖塔に連れられているようにな」
「――そうなんですね、なるほど」
八重子が納得した様子を見せる中、バルバロがきょとんとしている。
「お前らと同じように人間の中にも監視されている奴がいるってことだ」
バルバロが納得してポンと手を拳で叩くと、ジョイナーは話に戻った。
「とりあえず俺は、そんな夜滝の過保護な所に火を点けたんだろうな。資料の研究をしている時も、昼休みの食事をする時も、外部への出張の時も、付け回してきて聞いてくるんだ。
うっとうしいを通り過ぎるぐらい、『本当にそれで良いの?』『自分の意見で動いてる?』『ジョイナーはどうしたい?』ってな。
だが当時の俺にとったら、そんなことはどうでも良い。自分の意見で動こうなんて意思はない。俺のアイデンティティは家のために力を発揮することで、そのために世界樹から下される命令を完全に遂行して、相手が満足すればそれで良かった。自分の意見なんてものは、どこにも介在しないんだ。
だが、それじゃ夜滝は決して許してはくれなかった。
そして、あまりに付きまとうのに辟易して、俺はとうとう怒ったんだ。
するとな……、あいつは笑うんだ。
『ちゃんと自分の顔があるじゃない』って。
もうその瞬間、俺は消えてしまいたいぐらい恥ずかしくなった。俺は自分なんてものはとうの昔に失っていたはずだったんだ。それを俺は強制的に夜滝に呼び起こされた。この怒りも恥ずかしさも自分の感情。自分の意思だった。
自分から言葉を発したことで、俺は今まで隠していた自分の裸を、相手の前にさらしたんだ。今でもあの時の顔の熱さを思い出せるぐらい、あの時は恥ずかしかった。
でもな、同時に視界が開けたような気分になったんだ。子供が物心つく瞬間というものは、こういうものなのかもしれない……。
自分を自覚した俺の世界は、途端に色を帯びて明るくなったんだ。
俺はあの時、夜滝に二度目の生を与えられたんだよ。
彼女の顔を初めてしっかり見ると輝いて見えた。恋かどうかは分からないが、少なくとも、当時の俺の目には、彼女が神々しく見えたんだ。
それからというものの、気づけば寝ても覚めても、俺はあいつのことを考えていた。
怒りと恥ずかしさ、そして気づいた時には恋という感情まで俺は取り戻していたんだ。
耐えきれず俺は自分の気持ちを彼女に伝えた。
思い出すのが恥ずかしいぐらい意味の分からない言葉の羅列。愛の告白なんて良いもんじゃない……。ただ、あるがまま、自分に起きた不思議を伝えた。
『俺はお前のせいでおかしくなってしまった。俺は自分からこんな動くような人間じゃなかったし、お前のことばかりを考えているのも妙だ。それに、こうして何か分からない気持ちを伝えようとしている。お前と一緒に居たいと思う。これは一体何なんだ……。俺に何をしたんだ!』って。
すると、夜滝はこう返してきた。
『一緒に居たかったら、一緒に居たらいいじゃない。私は何も問題に感じない』って。
そして、苦笑いして、
『自分で動いた方が楽しいのにって伝えたかっただけなんだけど』って言われたんだ。
ケンブリーにだって、そんなことは言われてきた。それでも彼女が言葉にすると、まるで魅力が違ってくる。それぐらい俺は、気づかないうちに夜滝に心を奪われていたんだ」
ベッドに横たわったチュイが、ぶすっと不満気にジョイナーを見ていた。
「――面白くないか」
「面白くないけど……、聞かなくちゃだめでしょ?」
「そうだな、聞かなくちゃいけない」
こうして過去に酔いしれながらも、ジョイナーはチュイに夜滝への愛情は伝えなくてはならない。その上で、自分がどういう人間なのかを伝えなくてはならないから。
「――俺に付いてくる覚悟の上で、必ず聞け」
「――うん、分かったよ」
チュイが微笑む横のベッドでは、八重子が興味のない教員の恋の顛末を聞いて表情をしかめ、バルバロは興味深そうに聞いているようだった。
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