世界樹の魔法使い 2章:争う尖塔の学生たち ⑤
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親元を離れて暮らす尖塔の学生たちは、日々の始まりを寮で迎える。
十二歳までの幼い子どもたちは、正門から左に入った児童寮で、それ以上の十八歳までの学生たちは、正門から右に入った男子寮と女子寮で目を覚まし、その日のスタートを切る。
男子寮と女子寮の出で立ちは無骨で殺風景だ。
建物は岩盤をくり抜いた三階建ての石窟構造で、手前に迫り出した石造りの建物部分が、後に増築されたことを物語っている。寮には十三歳から十八歳までの学生が、二名ずつの相部屋で窮屈な生活をしている。だが、尖塔の教室とは違って窓が付いている分、圧迫感や閉塞感といったものは、幾分マシなようだった。
それでも無骨で殺風景という現状が変わることはない。
チュイと八重子の二人が生活している部屋もまた同じだった。
彼女たちの部屋にある家具は、二段ベットに二人分の勉強机と本棚。どの家具も世代を超えて受け継がれてきたもので、色の濃くなった木の色や酸化した真鍮の蝶番、そしてイタズラに刻まれた文字が、重ねてきた年月を感じさせている。
明るみのある有彩色の物もあるが、それは教科書やカーペットに少しの私物といったものぐらいで、部屋の中は冷たく寂しい感じがしていた。
本当なら年に二回ある帰郷のシーズンに合わせて、故郷から何か持ってくることもできるのだが、聖天都市のある極寒の山脈を進むとなると、余分な荷物を避けて、オシャレなものなど不要になってしまうのが現実だった。
そんな寂し気な部屋の中に朝がやってくると、八重子はプリプリとしながら、チュイのベッドの横に立っていた。
「もう、いいかげん起きなさいな!」
八重子は声を荒げると、ベッドから見えている白と茶のツートンカラーの頭に長い尻尾を何度も叩きつける。
すると、それに呼応するように、布団の中身がビクッと驚き、モゾモゾと動いた。
「むーん……、ヤエちゃんまだ夜だよ」
「朝よ!」
八重子は長い耳をピンと立てると、尻尾をほうきのようにしながら、チュイの顔を何度も往復させる。するとチュイがもがいて顔を手で覆う。そして芋虫のように身をよじらせると、ようやくベッドから身を起こした。
「ねぇ、もうちょっと優しく起こしてよ」
「いやよ。小さいころから、どれだけ私が起こしてると思ってるの? これぐらい我慢なさいな。本当に夜の時期に入るとダメなんだから……」
「だって、太陽を見ないと、どうしても時間が変わったような気がしないんだもん……」
チュイは寝ぼけ眼でしばらくベッドの上に座っていた。
朝になると明るくなるという概念がない尖塔では、体内時計を鍛えて自発的に起きるか、からくり仕掛けのタイマーなどを使って起きなければならない。それでも目を覚まさない場合は、同室の友人が起こすことになるのだが、それでも目を覚まさずに起きなければ、宿直に怒られて連帯責任で二人とも朝食が抜きになる。
この夜の光景で朝の七時というのだから、尖塔に連れてこられたばかりの幼い頃は、朝食抜きになることが多い。
だからこそ、幼い時に体内時計を鍛え上げていくのだが、チュイにはそれができなかった。
チュイはベッドから降りると、自分で顔をピシャリと張って服を着替え始める。
薄い胸に下着を着け、可愛らしいカボチャパンツと白いTシャツを身につける。その上から黒いローブをかぶって、小さな尻尾をピッと出せば、いつもの姿の出来上がりだ。
「はやく行きましょ」
そう言う八重子は、男の居ない女子寮では薄手のローブだけを着用していて、艶めかしい体のラインが、外用の時以上に目立っている。
チュイは部屋を出ていく八重子の後ろに続くと、彼女の体のラインを見てぷくっと頬を膨らませた。
二人とも歳は十八だが、横に並ぶと同い年だとは思えない。八重子が十八歳だったとしたら、人は恐らく、チュイのことを十二歳ぐらいと言うだろう。
一階に降りて食堂に入ると、既に生徒が集まっていた。
時間は恐らく七時十五分。朝食は八時までに終わらせるのが規則なので、時間には余裕がある。それでも生徒は、早いうちに降りてきて余裕をもって支度をしていた。
今日の朝食は、焼きたてのパンに甘酸っぱい柑橘系のジャム。そして暖かいコンソメの野菜スープだ。
チュイは八重子と一緒に席に座ると、スープをすすってホッと一息ついた。
「ねえヤエちゃん、今日から先生の良いとこ調べるっていってもさ、どうしたらいいかな?」
「何も考えてないの?」
「うん……」
八重子は首をすくめるチュイを見ると、ケンブリーに言われたことを思い出していた。
要は校長より上の世界樹がチュイや自分の担任を任命しているので、ケンブリー自身には解任する権限がない。本当に解任を求めるなら、上が納得する素材が必要だと。
正直、八重子にはジョイナーという不良教師を助ける義理はない。
無理矢理こじつけるとしたら、他の教員より差別意識が薄いことと、チュイがジョイナーのことを好きだからという理由ぐらいだ。
それで納得しようと八重子は思うと、考えながら口を開いた。
「正直今回の話はね、フレイソルが証拠を見つけられなければ勝ちなのよ」
「なんで……?」
「だって、もともと校長は先生を辞めさせるつもりはないもの。わからなかった?」
チュイはケンブリーが自分に向けて頷いていたのを思い出したが、八重子が口にするほど、ケンブリーが解任しないということに自信が持てなかった。
「よく考えてごらんなさいよ。フレイソルが不服を申し立てて上に申告するなら、それに値するだけの情報を持ってこいってことでしょう? 本当に怪しいと思っていたり辞めさせたいと思ってたら、校長自身の進退にも関わることだし、自分から動くはずよ。だから、校長はジョイナー先生を解任する気はないって言えるわけ」
「そっかぁ……。じゃあ、結局黙って見てたらいいってこと?」
八重子がチュイの質問に返そうとすると、彼女の背後に人の気配が迫ってきた。
チュイが「あっ」言うと、細くて美しい声が聞こえてきた。
「それでも、調べる必要がある。もしもフレイソルが情報を集めてしまったら、校長は明言した以上、世界樹に情報を上げなくてならない。その時こそ、相反するジョイナーの情報が必要になる……そういうことでしょ?」
「羽生ちゃん」
チュイが声の主に驚きの声を上げると、八重子は言いたいことを奪われて、半ば悔しい気持ちで振り返った。
そこには、短く散切りにした薄茶色の髪と、目尻のたれた優しい目が印象的な女性。それは、いつもの包帯を顔に巻いた羽生の姿ではない。彼女もまた八重子の薄着と同様に、男が居ない女子寮だからこそ、素顔を出すことができるのだった。
羽生は柔和な笑みを浮かべる。
「となり、座っていい……?」
八重子が頷くと、羽生は細い腕で朝食の乗ったトレイをテーブルに置き、隣に座った。
「ねえ、いいの? 私たちと一緒に食事してても」
チュイが申し訳なさそうに首をすくめると、羽生は彼女に合わせて首をかしげる。
「なぜ?」
「だってさ、今は私とフレイソルが争ってるところだし……。それに、羽生ちゃんは向こう側の味方をしなくちゃいけないでしょ?」
「いいの。だって本当に対立しているのはフレイソルとチュイじゃない。私はフレイソル味方でも、皆のことが好きだから、いいの」
「私だって、フレイソル以外は好きだよ?」
チュイが《フレイソル以外は》という部分を強調して言うと、羽生は微苦笑する。
そして、隣で黙々とパンを食べる八重子を見ると、「結局チュイと八重子は、ジョイナー先生の良いところを探すことにしたの?」とたずねた。
「まぁね」
八重子が素っ気ない調子で返すと、羽生は「そう……」と寂しげにつぶやいた。
二人は同じ東の国の出身で、互いに同郷である。多少なりとも親近感はあるのだが、いつまでたっても関係がぎこちなかった。
それは、八重子が羽入のことを好きになれないからだ。
相手がフレイソルと比べたら差別意識もない良識な人間で、付き合う上での性格も、申し分が無いのは分かっている。それでも、互いの圧倒的な違いを受け入れることができない。
羽生は自身の境遇を受け入れ、与えられた使命を果たし、必要とされることを好む。
対して八重子は、自身の境遇を認めず、何でも自分の意思がないと嫌な性格だ。また、生まれの境遇上、人に期待を寄せられるのも大嫌いだった。
自身の存在を自己に求める者と、他者に求める者。正に二人は、根本の部分が混ざり合うことのない水と油だった。
チュイは隣合って座っている二人を見ると、少しだけ考えた。
頭の良くない彼女でも、フレイソルを取り巻く羽生とツォウの忠誠心は知っている。
「羽生ちゃんたちも、フレイソルの味方になって先生の悪い話を集めるんでしょ?」
不安気に聞いてくるチュイに、羽生は優しく微笑んだ。
「そうね……。私にその気がなくても、あの人がその気なら、私だってツォウだって本気になる。全力であなたの好きな先生を追い出すつもり」
八重子は、チュイが気落ちする姿を見ると、難しい顔で羽生を見た。
「でも、校長の話が戯れってことは考えないの? まだ正式な魔法使いでもない末端の学生の言葉が、本当に世界樹に届くなんて、私には信じられないのだけれど」
「そんな事は関係ないの。私はフレイソルのためなら全力をだすつもりだから、あの人が1%でも価値を見いだせば、一緒に動き出すわ」
「そう、なんであれ、やるってことなのね」
八重子の言葉に羽生が静かに頷く。
その姿に強い意志を感じると、八重子は諦めたように鼻で息をついた。
チュイと八重子とバルバロ、フレイソルと羽生とツォウ。気がつけば三人同士でずっと対立を続けてきた。
対立も争いも、できる限りはしたくない。
だが、今回はジョイナーのことだ。チュイにしてもフレイソルにしても、相手に抱いている感情が真逆である以上は対立を避けることはできない。
卒業が間近だからといって、こればかりは仲良くすることはできない。
だから、この争いは不可避だ。
チュイは八重子の言葉を飲み込むと、残念そうに頷いた。
「どうせなら、こんなことでも馬鹿みたいに良い思い出になればいいのにね」
少し無理のある笑いに、八重子と羽生は笑って返す。
お堅い八重子にとって、こういうチュイの姿は大好きだった。