世界樹の魔法使い 2章:争う尖塔の学生たち ②
「いいね! 私も見てみたい!」
チュイの明るい声に、ジョイナーは耳を疑った。
対して、笑みを浮かべるフレイソル。
(おい! いつも逆だろ!)
ジョイナーは心の中で悪態をつくと歯を食いしばって、盛り上がる二人を見た。
「おお、犬! お前もたまには話しが通じるではないか。師の勇姿を是非見せて頂こう!」
「そうだね、そうだね! 人間もたまにはいいことを言うではないか!」
目を輝かせてジョイナーを見てくるチュイ。二日酔いの事は忘れて、小さいしっぽをブンブンと振り回している。
(なんだよその尻尾、飛ぶ気かよ……)
ジョイナーは、チュイを悔しげに睨め付けると、自分がどうするべきか考えた。
体調不良だと言っても、あの空気を読めない貴族の坊ちゃんには理解してもらえないだろう。生意気な白い歯を見せられて笑い飛ばされるというオチが目に浮かぶ。かといって頑に断れば、再び彼の理想とする師の姿を傷つけて、面倒な口論になるのも明白だ。
(ならば、実力の差ははっきりしている以上、さっさと片付けるのが手っ取り早い)
決心したジョイナーは頭を縦に振った。
「分かったよ……」
「教諭のご厚意、痛み入ります! では、さっそく!」
期待に胸を膨らませたフレイソルが、ドームの中央へと歩んでゆく。
ジョイナーも少し遅れると、だるそうに中央へ向かった。
座っていても頭痛は止まないのに、立っていたら余計に体の調子が悪いことが分かる。歩けば尚更ひどく、澄ました顔ではいられそうになかった。
「ジョイナー教諭。一つ宜しくお願い致します!」
「――分かったから早く始めようぜ」
対峙するジョイナーとフレイソル。
互いに頭を下げると、生徒が開始の号令をかける。
瞬間、フレイソルが力強い声を上げて、ジョイナーの二日酔いを刺激する。
出遅れたジョイナーが小さく声を出そうとすると、フレイソルが素早く懐に飛び込んでくる。その動きに一切の迷いはなく、初めから決められた一手のようだった。
本来、二人の力量の差は明白だ。
フレイソルは炎を中心とした環境魔法しか使えないが、ジョイナーは環境魔法を一通り使うことができる。彼が使える手の内を全て出したとしても、その組み合わせ次第で魔法の組み立て方は無数にある。しかも場数を踏んでいる経験値を考慮しても、フレイソルがジョイナーに勝てる見込みは皆無に等しかった。
それ故に、先手必勝がフレイソルの出した答え。
ジョイナーは迫るフレイソルの姿が見えると「はぁ!」と軽く発声し、身に纏っていたローブを翻す。
すると、そこには仄かに黒い輝きを放つ、盾のようなものが構成されていた。
これこそジョイナーの強み、魔力操作だ。
自らの魔力を自由自在に物質化させるこの技は、努力と才能に恵まれていないと体得できない難易度の高い魔法だ。素質があっても、彼のようにイメージと同時に物質化させるのは至難の技だった。
だがフレイソルは、ジョイナーの前に具現化された盾を見ても、一切ひるまず、ためらうこともなかった。例え相手が盾に守られていても、それを打ち破って、相手を焼き付けることに全力を注ぎ込んでいた。
相手は師。
無級の彼にためらう必要などは一切ない。
「いくぞぉ!」
フレイソルの両手に、熱を凝縮したような明るい火球ができる。その火球はフレイソルの拳を纏うと、輝くグローブとなった。
「我が誇りをもって、この拳に勝利を託す!」
踏み込んだ足を軸に一回転。
輝く金髪を振り回しながら、気高く若い魔法使いが突っ込んでいく。
「くだけろぉー!!」
撃鉄のように振り抜かれた魔力の火球が黒き盾と衝突する。
フレイソルは、確かに自分の拳が沈むのを手応えを感じていた。
だが、拳を纏う火球は、マットに沈むような鈍い音と一緒に消えてしまった。
黒い盾に沈んだ拳から、宙に向けて細い白煙が伸びる。
「くそっ……!」
ジョイナーは楯の向こうで笑みを浮かべていたが、それでもフレイソルは、さらに回転して跳び上がると、渾身の力を振り絞って、次の拳を振り下ろした。
「おっ、粘るか」
予想よりも頑張るフレイソルに、ジョイナーは数歩下がって指を鳴らした。
「!?」
目を開くフレイソル。
目の前にあった黒い楯がジョイナーの指の音と一緒に消え、楯に叩きつけるはずのフレイソルの拳が、行き場をなくして硬い地面を打ち付けた。
結果、拳の火球が弾けて岩肌を少しえぐっただけだった。
「っ!」
慌てて顔を上げるフレイソル。
だが、ジョイナーの姿はない。
『旦那! 後ろです!』
「くっ!」
ツォウの声でフレイソルが振り返ると、黒い刃が視界に迫ってくる。フレイソルが目を見開き、「うっ」と息を飲み込んだ瞬間、その刃は彼の首元で制止した。
彼の首にあったのは、今にも首を狩らんとする、巨大な黒いハサミだった。
フレイソルが刃に釘付けになった目を上げると、気分が悪そうに眉間にシワを寄せるジョイナーが笑みを浮べている。
「よぉフレイソル……これで終わりにしようぜ」
「まだだ! まだだ!」
既に勝敗は決しているが、フレイソルの心は満足に至ってはいない。
普段は感じることがない、自身の弱さと劣等感が彼の戦闘欲求を高め、自分の糧にしたいという気持ちを膨らませていた。彼にとって、以前のジョイナーに敗れることは不名誉だったが、今破れるのなら本望だった。
フレイソルは炎をジョイナーに向けて放つと、相手を引かせる。
「ジョイナー教諭、俺を屈服させてくれ! 卒業する前に、もう少し高みに登りたいんだ!」
フレイソルは叫びながらジョイナーに向かって攻撃を仕掛けていた。
右腕、左腕、右足、左足、全身を使って生み出した四つの火球を放つ。
最後の一際大きい火球は、バットで打つが如く、一気に振り抜いた。
迫る五つの火球を見ながらジョイナーは苦笑した。
「わかったよ……。特別に俺の得意技を見せてやる」
数のある攻撃を軽やかによけることが出来る程、ジョイナーは身軽ではない。
ならば力で押し返す。
魔力操作は、自分の手中に物を作るような、魔力の物質化だけが技ではない。
訓練次第では、少し離れた空間に物質を具現させることもできる。
そして、ジョイナーが最も得意としているのは、離れた空間で行う魔力の圧縮と拡散。
詰まるところ、魔力による爆発の発生だ。
ジョイナーは低く姿勢を構えると、息を吐くと同時に強く地面を踏み込んだ。
「ふっ!」
瞬間、衝撃がジョイナーの頭に響いた。
「ぐぅ!」
二日酔いを刺激されたジョイナーの手が、無意識に上を向く。
「あっ!」
彼の手から出た魔力は天井で具現されて破裂すると、ドームの天井を破壊した。
崩れる天井を見ながら、ジョイナーは自分に舌打ちをした。
そして正面には、フレイソルの火球が迫っている。
(打つ手なし!)
ジョイナーは自身に強化魔法をかけると、岩と火球をまともに受け、土煙に包まれた。
それを見たフレイソルは慌てた様子で駆けてきた。
「大丈夫ですか教諭! 今すぐ治療を!」
「心配はいらねえよ。……ちょっと頭痛がしただけだ」
「いえ、俺が運びましょう」
「そうか?」
と、フレイソルがジョイナーに近づいた時、フレイソルの表情が変わった。
そこにあるのは、親愛的な表情ではなく、昨日までのように鉄のような冷めた表情。
「どうした……?」
ジョイナーは自分で口を開いて状況のまずさを察した。
今、必要以上に彼を近づかせると面倒が起きる。
フレイソルの顔はもはや親愛的な表情でも冷めた表情でもなく、憎悪に満ちていた。
自分の理想というものを汚し続けるサン・テンペスト・ジョイナーという師に対する飽くなき憎悪だ。
フレイソルは決して悪い人間ではない。
真水のように純粋な心を持ち合わせ、信心深く、仲間に対しては慈愛があり、己に対する誇りに満ちている。だが純粋であるが故に憎しみに染まりやすく、自分の思うことに対して厳格な精神は、己の言葉を曲げることを許さない。
「なるほど、俺はかなりの馬鹿だったらしい……。そうだよな。昨日今日でこの犯罪者が変わるはずものなかったのだ……。今日の我々に対する対応も、全ては保身のため、自分で動かぬようにしていただけか。この酔っ払い!」
フレイソルは、ジョイナーを自分にとっての敵として断定した。
「――言い訳はしねえよ、今更だ。昨日はちょっと一人で飲み過ぎたんだよ」
ジョイナーが斜に構えた笑みを浮かべると、フレイソルは腕に纏った炎を地面に叩きつけて睨み付けた。
「俺は決めた。俺は全力であんたに敵対する! 確かに実力も経験も知恵も、あんたには敵わないのかもしれないが、あんたが天刺す尖塔に残る以上、世界樹に未来はない。貴様のような人間の教育を、我が後輩に受けさせるわけにはいかない! ならば、俺が尖塔にいる間に、貴様の悪の面を暴き出して、出て行かざるを得ない状況にしてやる」
「……」
「なんか言うことはないのか!」
「好きなようにすれば良いさ……」
フレイソルに目を向けることもないまま、ジョイナーは言う。
それを聞くと、フレイソルは身を翻した。
「羽生、ツォウ! 俺はあいつに、ジョイナーに敵対することを決めた。このまま校長に直談判に向かうぞ!」
フレイソルの声がドームに響き渡ると、生徒たちがざわめいた。
ジョイナーがフレイソルの背中を目で追っていると、チュイが噛みついているのが目に映った。
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