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いつかまた


 高校生の頃Twitterで、私の中の憧れの塊のような生活を紡いでいる檸檬さんという人を見つけた。それからずっと見ていて、本に囲まれた彼女さんとの日常や生活を切り取った写真を見る度に憧れが増した。
 その檸檬さんが小説を出すというのを知って、発売をワクワクしながら待っていた。先日本屋さんで、有名作家さんが並ぶ新刊のコーナーに堂々とこの本が置いてあることに、ただただすごお!と喜び、すぐに買った。出版がKADOKAWAであることも知らなかったので驚いた。
 最近彼女さんの話が出てこないな、前に無印の文庫本ノートに彼女さんとの日々を小説として綴っていたはずなんだけどそのツイート消えちゃったな、とは思っていた。
「檸檬」という名前ではない棚木悠太名義で書かれたこの本を読んで、泣いた。全てが繋がった。
 それでもやっぱり自分と何処か似た匂いを感じるし、檸檬さんに憧れている。会ったこともなければ顔も名前も知らない。年齢は28〜31くらいなのかなと推測するけれど、自衛隊退官後の今現在何をして生きているのかすら知らない。それでも、私の中ではとても素敵な人間の一人。

 彼女さんの作るたべっ子どうぶつ入りのブラウニーが好きだと、いつか言っていた。恋人と別々のベンチに座りながらそれぞれ本を読むのが幸せだと言っていた。私もいつか大切な人と2人で暮らすことが出来るようになったら、少し暗い照明の、広すぎず綺麗すぎないお家で、その相手にたべっ子どうぶつ入りのブラウニーを焼きたいと思っていた。本に囲まれて、音楽に囲まれて、お互いの好きなものを教え合って。好きな本を交換し合えるような、そんな関係に惹かれていた。特別ではない日常の日々を誰かと共有すること、愛するということ、大切にするということ、一緒に生きていくということ。いつか自分もそんな生活を紡いでいけるようになりたい。
 最近の檸檬さんのツイートは今になって考えてみると、前より照明が明るくなり、部屋に散らばった本や音楽たちが誰かとのものではなく自分のものになったということを匂わせているように思える。檸檬さんは今、生きている。いつか檸檬さんがまた愛おしい恋をして、大切な人が出来れば良いなと願う。暖かい光のもとで、目が覚めた時に大切な人の寝顔が隣にある、そんな小さな幸せを。向かい合っていただきますと手を合わせる、どこにでもあるようで何よりも貴い日常を。

人は誰しもそのときが来たから死ぬのではなく、日々少しずつ死んでいくのだ。完成したパズルのピースをひとつずつ抜き取っていくように。                          (『どこかで』棚木悠太)

多くの人に読まれてほしい一冊。とても穏やかで、同時にどこか醜い人間らしさがある、素敵な人。調味料置き場に煮込んでいる間読めるような短編集やエッセイを置いておくの、真似しようと思う。

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