「感想」売ります 〜 承認欲求のインフレーションをおぎなう仕事

「感想」を買ってみるのです、と知人は言った

感想が少ないので感想を発注してみる オンライン小説を投稿している知人はそういった そういうサービスがあることを初めて知った 発注先はここ 「あなたの創作作品を詳細に分析して感想をお伝えします/小説・漫画など(同人・商業)貴方の糧になる感想をお届け!

オンラインで小説を発表している人は多い 私自身のこのnoteもそうである ほとんどの「作家」がたいして注目もされず作品を投稿している 続ける人も止めてしまう人もたくさんいる しかしどうせ作るからには感想が知りたいというのが人情であり そのニーズに応じた仕事なのだ

このクラウドワークサイトには他にも同じような感想を売るレビュワーがいる たとえばこれはプロの編集者だという 「文章を読んで感想文を書きます/プロの編集者が本気で読んで、本気で感想文を書きます。

気になるのはこれらは「批評」ではなく「感想」だというところか 批評ではあるていど論拠をきちんと呈示したうえで、対象を論じなければならない(そういうものだろう) 感想は主観的なものであり根拠は必須ではない

しかしそうはいっても、カネを払って依頼するならば 感想といっても ある程度納得できる部分がないといけない

メニューをみると感想の「種類」を選べるような業者もいる 甘口・普通・辛口など、ご希望に応じて感想を書きます などといった意味のことが書いてあるのだ このようにトーンを選べるので、発注者は安心して発注できる カネを払ったのにボロクソにけなされて凹んでしまうといったような危険性は避けられる

依頼先のクラウドワーカーたちの実力 それもあまり分からない プロフィールに職務履歴や業績などが詳細に書いてあるわけでもない 全くバックボーンがなくてできる仕事でもないので、書いていないだけなのだろうが、よく見えない これまでの感想の実績をサンプルとして公開している業者もおり そういったものを発注の参考にするようだ 知人は口コミで発注先を選んだという

つまりおそらく このサービスの本当の目的は 作品の評価ではなく クライアントであるアマチュア作家に対するモチベーションアップなのだろう カウンセリングなどと同じ 個人に対するオーダーメイドの言葉が必要とされているのだ セラピーとしての作品評価 「批評ではなく感想」というのはそういうことなのだ

ネットワークでつながった時代なのに、コミュニケーションをわざわざ買わなければならないというのは矛盾しているように思われる しかし鴻上尚史も書いているように(「「空気」を読んでも従わない」) ネットワークによってあまりにも多数の相手とつながってしまうので 自分だけに向けられた言葉はほとんどゼロになってしまう 「ここにいる自分自身」すなわち実存的な自分に向けられた言葉があっても、それは無限に希釈されてしまうのだ その事実に耐えられない個人にとっては、承認欲求がインフレーションを起こし 身をさいなむのだろう

私自身はきちんとした批評が得られるならば、カネを払ってもよい つまり調べて時間をかけてきちんと評価してもらえるならば、そしてそれだけの技量のある人に依頼できるならば、カネを払う値打ちがあると思う カネを払ってでも読んでもらいたいと思うことはひょっとしたらあるかもしれない しかし感想とはどのようなものであってもそれぞれの読者自身が持っているものだし、それは基本的には読者のもの、読者の私的体験になるから、買うことは難しいものであろう