グリッドマンユニバースを観ました。

 オタクが邦画を叩くとき、結構やり玉にあげられがちなのが「薄い(あるいは唐突な)ラブロマンス要素」だと思うんです。一昔前ではそれこそ「スイーツ(笑)」だの「恋愛脳」などと言ってそれらの要素をバカにし、それを面白いという人間をバカにするという風潮がまさしくそうなんですが、とにかくオタク君は現実の人間の恋愛に過度な忌避反応を示している節があります。なかったらごめんなさい。N=1の妄言だと思って聞き流しておいてください。

 今回、グリッドマンユニバースを観て、僕は猛省しました。結局は僕は生身の人間の演じる恋愛に共感できなかっただけで、アニメキャラで同じことをやられるとブヒブヒ云うだけの惨めな豚だったからです。

 
 かいつまんでストーリーをお話しすると、グリッドマンが居なくなった後の世界で2年生になった裕太が六花に告白することを決意する所から映画が始まり、裕太が思い悩んだり行き詰ったりしていると、何故かいなくなったはずの怪獣が再び現れ、同じく再び現れたグリッドマンや新世紀中学生の面々と共にそれを退ける。新世紀中学生が言うには裕太のいる世界と怪獣がいる世界が何故か重なってしまって再び怪獣が現れるようになった。しかもダイナゼノンの世界とも重なってしまったからダイナゼノンのキャラまで世界に迷い込んでさあ大変!みたいなお話です。

 正直僕はグリッドマンユニバースを観る為に前日に1.5倍速でグリッドマンを全部観ただけの人間なんであんまりグリッドマンに詳しい訳じゃないんですけど、2時間の映画の中に二転三転するシナリオや、テンポよく進むシナリオやバトルのせいで、一度展開から乗り遅れると最後まで追いつくことが出来ないままエンドロールを迎える事になります。特に、終盤「この世界はグリッドマンの形になった宇宙でグリッドマンが裕太に助けを求めてるんだよ」って言われたところでちょっと……よく分からなかったですね。多次元宇宙がグリッドマンの形になってグリッドマンが裕太の助けを求めるって、何?という感情を持った辺りで完全に振り落とされました。
 それでいうと「カオスな方が面白い」都合のいい世界だからヒメが北海道物産展にいたり、文化祭準備に怪獣優生思想がいたりで、そういう使い方でいいのか?と思ったり、そういうことをぼんやり考えていたのも良くなかったのかなぁと思います。

 何度かあるバトルシーンの出来も素晴らしいものではありましたが、手に汗握るというよりは劣勢→加勢→圧勝の繰り返しに近く「うむ、動いてるな!」という感情が強かった気がします。体感怪獣8号。

 ところがどっこい、カフェでお互いのスマホの電池が切れそうになってるためどちらのスマホで地図を見るか揉めてる蓬くんと南さんや、諸事情があり退場した南さんが再度登場した際、お姫様抱っこされ「これって普通逆じゃない?」と言う蓬くんや、唐突に始まる上田麗奈さんのASMRなどであらゆる疑問点や感情が無くなり機械的に10000000000000000000点つけてしまいました。特に蓬くんが「あれでまだ付き合ってないんだって」と南さんに告げ口するシーンは笑顔が止まりませんでした。僕はよもゆめのオタクです……。

 多分、(というかアニメ版からそうでしたが)何回も観て暗喩やオマージュを見つけてニヤニヤするタイプのアニメで、not for meだったなぁ、と思いました。その点、アニメ映画の最高傑作とまで言うオタクが居たり、人を選ぶ作品かもしれません。僕は2回目は行かないので答え合わせは出来ません。
 出来ればダイナゼノンの映画をもし万が一作るなら、もう少し普通に(普通って何?)見ても楽しめる作品だといいな、と思いました。

 あと、最後の裕太の告白で絶対観客全員立ち上がって大声出すだろって思ったら誰も微動だにしなくて怖かったです。


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