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幸せを普通だと言いたい

何して生きてる?
狭い世界で生きてる

辛いとか苦しいとか言った人に対して「もっと大変な人がいる(から我慢して口に出すな)」と言った人がいる。そのルールが適用されるなら、世界で一番大変な人しか愚痴や悪口文句を言えないことになってしまう。

それはおかしいしそんな世界はとても窮屈だ。

私はそう思っているけれど、一方で自分に対して「いや、もっとしんどい人いっぱいいるしな……」と思うのもまた事実だ。

日勤でブラックじゃない企業で働いて、給料も休暇もちゃんともらえて、家族が健康で、周りの人ともまあまあ良好で、家があってご飯が食べれて、たくさんじゃないけど趣味にもお金を使えるのは「普通」じゃなくて喜ばしいことなんだろう。

一方で、私の体力だとシフトによってはギリギリなときがあって、ご飯を食べることすら面倒くさくなったりして、休みに遊ぶ余力がなくて、遊んでくれる人も極めて少なくて、将来何もわかんなくて生きてる意味をぼんやり考える日々もある。

幸せを相対評価したくない。私の今が「〇〇じゃないだけマシ」とか「全然不幸じゃないじゃん、私なんて〜」と言われるものだったとしても、逆に「そんな人いるんだ」「可哀想」と言われても、どっちもなんかいやだ。

でもそれを言ってくるのが他ならぬ私自身だったりするから困るのだ。

なんというか日々に感謝とか足るを知るを履き違えている気がしている。私は私の感覚や気持ちも肯定したいし、他の誰かもそうだってことを覚えていたいよ。


生きてる

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