【第2回】講義概略

邂逅

俳優の高知東生氏は逃走中や結婚できない男などに出演なさっていた俳優だ。多くの映画やドラマ、バラエティに出演していたが、2016年に覚せい剤、大麻の使用容疑で逮捕され、執行猶予四年の判決を受ける。今年9月末に執行猶予を満了した彼の隣に並ぶ快活な女性は田中紀子氏。彼女もまた、依存症に苦しめられた1人。彼女と高知東生が出会ったのは、彼が執行猶予2年目のことだ。初めの1年は当時経営していた会社の財務処理等に追われ忙しくしていたが、それが終わった2年目からは、時間がありすぎて妄想にかられる日々が続いたという。麻薬取締官に逮捕されたとき、彼はやっと薬物をやめられる安堵から「ありがとうございます」と言葉を漏らし、そして、それはワイドショーで格好の餌となった。彼は執行う猶予期間中そんなあることないことを言われ続けるワイドショーをこわごわ見ては、根も葉もないことにテレビの前で1人突っ込みをし、日常でもスキャンダルを出し抜こうと餌を求める取材関係者の猛攻に追われるうちに再起のために建てた会社もたたむこととなり、職を追われ、人間不信に陥っていった。その最中、手を伸ばしたのは彼女、田中紀子氏だった。ツイッターのDMでの邂逅だった。

話通じてる?!

苦しみを抱き、1人でいた彼のもとに延ばされた田中氏の手は「剛腕」だった。高知氏は自身が逮捕に際して田中氏が掲載した擁護記事を読んでいたため「田中紀子」の名前に覚えがあった。そのため彼は田中氏にツイッターのフォローを返し、そして、DMが届く。

「一度お会いしませんか」

彼は、そのDMに謝意を感じつつも自身心の現状を鑑みて、そっとしておいてほしいと丁重に断った。そして、それにすぐに返信が来た。

「〇月✖日、△△でどうでしょうか」

という日時指定。

「今は心のバランスもよくないし、落ち着いたらまた・・・」

と返した高知氏のメッセージに返ってきた言葉は、こうだった。

「予約入れました!」

その話をしているときの高知氏の顔はまるでいたずらの種明かしをする少年を彷彿させた。なんだか、楽しそうな顔をしていた。

「いや、俺、学はないけど、さすがに思いましたよ。この人話通じてる?!って。」

と、笑い交じりに話していたがこれこそがまさに彼が自助グループにつながる一歩目に繋がったのだ。その時、心は思いっきりSOSを求めていた。(田中氏と繋がれたことは)かすかな希望だったかも、と彼は当時を懐古した。

共感

そうして田中氏と高知氏が実際に腰を据えて話し合う日はやってきた。その日、場所を変え七時間も話したという。人間不信に陥っていた彼がどうしてそれほど一気に打ち解けた理由は、彼女の一言目にある。「私も依存症者なんです」田中氏は、自分が体験してきた依存症からの回復の道のりを打ち明けた。それは、高知氏にとって依存症について共感できる1人目の仲間の出現であり、喜ばしいものであった。

人前

田中氏は発信力のある高知氏に依存症についての発信を頼んだ。しかし、高知氏は最初、人前で話すことに抵抗を感じていた。それでも田中氏の熱意を感じ取り、二人の信頼関係を築いていくうちに、徐々に人前で公演ができるようになっていった。彼女は立ちすくむ彼の背中をこういって推したのだ、「高知さんが恥だと思っていることこそに価値がある。同じ悩みを持つ人を助けてほしい。」そうして彼の初めのワンステップは、ニコニコ生放送への出演となった。

ママかっこいい

高知氏の背中を押した田中氏だが、彼女の背中を押したのは思わぬところにいた。ギャンブル依存症を考える会代表、として実名顔出しで活動しているとき、田中氏のお子様二人はそれぞれ、小学校5、6年生だった。取材の中で幼稚園の月謝が滞納し払えなかった過去を話すということは、田中氏のみならず子供にとってもショッキングなことで、初めは田中氏も活動の仕方について悩んだ。ある日、テレビで彼女の取材が特集された翌日、田中氏のお子様は学校から帰ってきてこういった「ねえ、うちって1500万も借金があるって本当?」クラスメイトにからかい半分で言われてはじめて知ったのだろうと、田中氏はすぐに思い至った。そこで彼女は、今までの報道や特集をすべて見せ、事の経緯と活動を説明した。そして、見せているTV取材の中で、「離婚しようとは思わなかったんですか」と、自信と共に依存症であった夫との離婚についてインタビュアーのマイクがテレビの中の田中氏にむけられた。「離婚しようとは思いませんでした。」と答えた田中氏をご令息は「ママかっこいい」と絶賛。「これからもテレビに出ていい?」そう聞くと、「いいよ」と絶賛の声が返ってきたという。二人の子供が彼女の背中を押す存在の一部でもあったのだ。

モンスター

依存症者のイメージというものは固定化されている。薬物乱用防止のポスターにはゾンビのような人間が描かれ「ダメ、絶対」という強い語気が添えられているのが定石だ。しかし、依存症者はモンスターやゾンビではなく回復が可能な存在であることを示すためにお2人は活動を続けている。

依存症とは病気なのだ。「ハマっているもの」以外からの刺激で幸せを感じるドーパミンが分泌されなくなり、苦痛や不安ばかりを感じるようになる。そして、そこから脱却するにはお酒や薬、ギャンブルなど、依存対象に頼らなければならない。そのようなストレスを開放するための回路が脳にできているのだという。「やめたらどうにかなってしまう」そう感じてしまい、回復になかなかつながらない。しかし、「仲間」の存在が回復にとって鍵となる。「やっていないと不安でいっぱい」な状態に落ち着くまで時間をともにしてくれる仲間と「今日はやらないようにしよう」を1日1日積み上げて2年で体が楽になり、5年で生き方が楽になってくる。と田中氏は語った。

講義も後半になってくると参加生からの質問が殺到し始めた。最も多かったのは、依存者の支え方に関する質問で、「大切な人が依存症かもと思ったらどうしたらいいのか」などといった物が多く寄せられた。田中氏によれば、「しりぬぐいをしないこと。」だという。支える。ということは、「手放す」という愛が必要になる。依存症者がその責任と向き合いきるまで、失敗する権利を奪わず、どんなに手を差し伸べたくても、「手放す」。それが「タフラブ」という新しい愛のカタチなのだ。

質問の中には、「なりやすい人となりにくい人の差は?」といった物もあった。その答えは環境と遺伝。また、若いころから対象に手を出していることがリスクファクターになりうるという。また、幼少の頃の逆境体験もファクターの一つ、心をゆるせる場所が依存先にしかなくなってしまうのだ。

祈り

あっという間に終わりの時間が来ていた。その間際、田中氏は言った。メディアの中にも依存症を勉強する会を作りたい。と。まず、知ることが必要だからだ。数字を追いかけたワイドショーで依存症を回復に導けるわけではない。辱めの質問や、懲罰的な質問、を繰り広げる謝罪会見も同様だ。依存症は病気であり、1人で回復に向かえるものではない。仲間や、サポーターと共に歩いていくことで初めて、回復できる病であると、報道する側が知っていれば必然的番組の煽る構成も変化するはずだ。正しい知識から生まれた報道で、救われる人や導かれる人がいる。視聴者を救う努力をしてほしいと田中氏は述べ、その横で高知氏は、深く縦に頷いていた。

依存症者を救うこと、その祈りは、かなうまでにそう時間は要らないのかもしれない。一番近くでこの話を聞いていた私は、お二人の前向きなパワーを感じてか、これが近いうちに実現する気がしていた。

あなたはなにもの?

うっかり、一番大事な質問をし忘れそうになった。それほど白熱した、濃い時間を過ごしていた。このゼミのタイトルにもある、私たちの核。「あなたはなにもの?」この質問を最後にした。

「開拓者かな。日本の。」

「俺は・・・オレもの!」

誰一人、依存症者です。とか、もと依存症者ですとは言わなかった。それが自分の名刺ではないからだ。今、一番に眼前に据えた覚悟が顕になった瞬間だったと思う。確かにそうだ。彼女は紛れもなく、開拓者だ。依存症というものに対し、あまりにも排斥的で無知なこの日本に切り込んでいる。オレもの!といった高知氏。その笑顔が内包するものはあまりにも大きく尊かった。生い立ちや、過ち、すべての「オレ」を肯定するさわやかな一声だった。

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