【第3回 なにものゼミのリアルに迫る!】 知ることの葛藤

講義のウラバナシ、第3回は講義担当・山村さんに聞いた。
なぜ「あの」質問をしようと思ったのか。質問のウラにあった葛藤とは。

 なにものゼミ第3回のウラバナシ担当である筆者。議事録を打ち込みながら、浦安市議会委員である毎田潤子さんの講演を聞いていた。夕方のコーヒーチェーン店の賑わいの中でも、毎田さんの優しく暖かい声で語られる「障害者家族と政治」の話は、ひとつひとつ心臓の奥深くに落ちていく。何か新しいことを知るたび、心臓が重くなる。脈がゆっくり打つような感覚。今回もまた、知らなかった社会のリアルをみた。

 「あの」質問とは。第3回講義を聞いた人ならみなわかるはず。まさか、1人、店内の端の席でズルズル泣くことになるとは思ってもみなかった。

 
「毎田さんは、
 生まれ変わっても武尊(ほたか)くんのお母さんになりたいですか」

 母からの「真穂ちゃんがいてくれてよかった」という言葉は、自分に障害があっても言ってくれるのだろうかと考えた。出生前診断ができる現代、生まれてくる子どもに障害があるとわかったら自分はどうするのだろう。この2つの疑問から、上記の質問が浮かんできたという。

 しかし、葛藤があった。どこまで聞いて良いのだろうか。聞いてはいけないことではないのか。
 連絡を取り合う中でも、遠慮が付きまとう。
「ご気分を害されたら、大変申し訳ありません。」前置きで防衛するようなテイストで、恐る恐る想いを伝えた。

 毎田さんからは、「私の場合は何も気を使わなくて大丈夫です」という言葉が返ってきた。講義が始まる際も、受講生に向けて「今日はなんでも聞いてください、私になら大丈夫です」と伝えてくださった。毎田さんのこの言葉と、講義が進んでいく中で、聞いてみようという決心がついた。

 

毎田さんが絞り出した 「なりたいんでしょうね」 という答え

強がりではなく、今の自分がいるのは武尊がいるから。まさか自分が障害者の親になるとは思っていなかった。今やらなきゃいけない、と思って議員になり、様々な出会いがあった。今の人生に感謝して満足している。武尊が障害者だったから、自分が、今の姿があると感じている。

 講義のあと、毎田さんはもう一度、この質問について考えてくださったそうだ。

生まれ変わっても武尊の母になりたいけれど、次に親子になる時は武尊と会話がしてみたい

 武尊くんは、オウム返しはできても、自発的に話すことはない。次は会話がしてみたい。その答えを聞いて、また涙がでた。


リアルに迫る。
今回の質問の答えを、私たちの想像から得ることはできなかったはずだ。想像でない、リアルな答えを得たからこそ、記憶の中に重く沈み、忘れられないものになる。

文責:百木田

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