【第7回 なにものゼミのリアルに迫る!】 黎明を告げる

 火曜日、17時20分。なにものゼミが始まった10月末は、日の沈みが早くなったな、と感じていたのに、もう冬至がやってくる。今年の冬至は12月21日。越えれば、また日が伸び始める。夜と同時に始まったなにものゼミは最終回を迎えた。

 なにものゼミは私にとって長い夜だった。17時20分、知らない世界に潜り込む。19時、パッとzoomの画面が消えると、目が覚める。夢ではない、潜り込んだ世界で見たものはリアル。語られる言葉に引き込まれ、考え、自分の「想像の現実」と異なる「本当の現実」を見て、夢か現実かわからなくなる、あの感覚に陥る。一週間考え込むうちに、また深い時間がやってくる。目が覚めたと思っていたものは錯覚だったのか、また新たな世界に引きずり込まれる。その繰り返しだった。ずっとずっと、夜の中にいたのだと、最終回を迎えて気づいた。すべてが終わった今こそが、まぶしい光がさす黎明なのだと。

誰かが関わってくれることで、生きる希望が湧くのです。私たちに関わってくれている皆さんがそうなのです。誰かが誰かと関わることが誰かの希望になっているのです。

 最終回、岡部さんのこの言葉に、なにものゼミの意味を感じた。社会の中にある生きづらさを「障害」と捉え、そのリアルに迫る。「生きづらさ」を変えるのは、紛れもなく、社会に生きる私たちである。私たちは、関わりの中で何かを得なければならない。無知こそが、「生きづらさ」を深い闇の中に押し込む。どこに何があるのかも分からない、知らぬ間に闇に足を突っ込んで歩いている。闇の中で転んでもその傷は見えない。苦しむ人を見つけることもできない。社会は照らされなければならない。私たちが、社会を照らさなければならない。

ひとつひとつの光は弱くとも、集まればまばゆく人を圧倒する

 須賀しのぶさんの作品『革命前夜』の一節。光は希望であり、集まった光は人を、社会を照らす。このゼミで集めた光を、私たちは落とさずに今も胸に抱えている。その光をどうするのか。書く、話す、聞く、見る、感じる。関わりと、そこで得たリアルを広げていきたい。

 「リアル」が、黎明を告げる。


文責:百木田


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?