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見どころの多い祖父の家までの道 (東松山市、吉見町、鴻巣市)

母の父親 (私の祖父) の家は埼玉県行田市にありました。

私が子供の頃は、よく家族一緒に車で実家から祖父の家まで遊びに行きました。車でおよそ1時間の道のりです。父は車の免許がなかったので、運転はいつも母親でした。

実家を出ると、まず国道407号を北に進み、東松山市に向かいます。子供の頃は県道熊谷入間 (くまがやいるま) 線と呼んでいた道路です。

越辺 (おっぺ) 川、都幾 (とき) 川を越えて東松山市街地に入る手前、松山台地の南縁に「将軍塚古墳」と呼ばれる前方後円墳があります。古墳時代前期に築造された、埼玉県内(北武蔵)最大の前方後円墳とのことです。

こんもりと木々に覆われた全長115m、後円部の高さ15m、前方部の高さ8mの前方後円墳。後円部墳頂には、藤原利仁将軍を祀った利仁神社が鎮座しています。

ちなみに、藤原利仁という人は貴族であり、また平安時代の代表的な武将の一人だそうです。坂東の国司を歴任し、915 年には鎮守府将軍(奈良~平安時代にかけて陸奥国に置かれた郡政府の長官)となりました。この利仁将軍が祭られていることから「将軍塚古墳」と呼ばれているようです。

将軍塚古墳を越えてさらに北上して東松山市市街地に入り、今度は東に向かい市野川を渡って吉見町に入るとすぐに、ぼこぼこと横穴の空いた異様な山肌が見えてきます。これが「吉見百穴」と呼ばれる古墳時代後期に作られた横穴墓群です。私たちは「よしみのひゃっけつ」と呼んでいました。ここは比企丘陵の先端に位置します。

現在確認できる横穴の数は219基あり、日本一の規模を誇る横穴古墳群だそうです。砂粒と火山灰がまじりあった砂質凝灰岩からなる地質で、穴の中には天然記念物のヒカリゴケが見られるところがあります。

吉見百穴の前を通らなくても祖父の家には行けるのですが、わたしはこの百穴を見るのが好きで、小さいころはわざわざ百穴の前を通ってもらったものです。

吉見百穴の近くには松山城址があります。市野川をはさんで対岸にあたる平地が松山城の城下町となっていて、現在の東松山市街になります。松山城は愛媛県(伊予松山城)・岡山県(備中松山城)にも存在することから、他の松山城と区別して「武州松山城」「武蔵松山城」と呼ばれることもあります。

埼玉県比企郡にはこの松山城址をふくめて、菅谷館跡、杉山城跡、小倉城跡などの城館跡があり、「比企城館跡群」として国指定史跡となっています。

比企と言えば、NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも話題の比企能員は比企郡の豪族ですね。こんなページもありました。

吉見町から鴻巣市に向かう途中、荒川を越えます。吉見町側の堤防から鴻巣市側の堤防までの間が2,537mもあり、国土交通省の定義による河川敷を含めた堤防間の「川幅」では日本一だそうです。

子供の頃には日本一だという認識はありませんでしたが、とにかく普段の実際水の流れる川幅は数十m程度なのに、やたらと広い堤防間に、「すごいねー」と家族ではしゃいでいたものです。

荒川はその名前のとおり「荒ぶる川」だったようです。国土交通省関東地方整備局荒川上流河川事務所のホームページには、荒ぶる荒川の歴史がまとめられています。この広い堤防間も荒川の恵みを受け、自然の驚異と対峙してきた人々の歴史を示しているのですね。

家族で祖父のうちに行くのはとても楽しみでした。
祖父の家があった行田市も埼玉らしい見どころ満載の土地ですが、またいつか触れたいと思います。

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