サルバドール・アジェンデ。ウィキペディアによると世界で初めて自由選挙によって誕生したチリの社会主義政権の大統領です。
1952年に初めて社共連合の統一候補として大統領選に出馬し、1958年、1964年にも出馬し、それぞれ得票率を伸ばしましたが落選。
1970年10月の大統領選で社会党と共産党の連合からさらに参加政党を増やした「人民連合」の統一候補として出馬して当選。選挙により社会主義政権を樹立しました。
詳しくはウィキペディアなど他のページを見ていただくとして、当時のアメリカのニクソン政権から、さまざまな圧力・工作を受けたようです。
アジェンデ政権は、現在のロシアのように対外侵攻や社会主義拡散を企てたわけではなく、あくまでもチリ国内において社会主義政策を遂行しようとしたようですが、資本家の既得権益確保と反共・反社会主義を目的に、アメリカをはじめとする資本主義国からの執拗な経済攪乱工作を受け、次第に国内経済が混迷を深め、クーデターの口実にされてしまったようです。
1973年9月11日、軍事クーデターで亡くなりました。クーデターを率いたのはあの悪名高き独裁者、アウグスト・ピノチェトです。
「9.11」と言えば2001年にアメリカで起こった同時多発テロを思い出しますが、1973年9月11日も当時のニュースではとても大きく報道されていて、子供ながらにテレビから流れるアジェンデ、ピノチェトの名前が今でも耳に残っています。
最近、何かのきっかけでアジェンデ大統領最後の演説の録音と日本語訳を見つけました。
すでに大統領府を反乱軍に包囲されて、最後を覚悟していたであろうアジェンデが、死の直前に行った最後の演説。残る音声は淡々としたものでしたが、チリ人民を思う政治家としての覚悟がすごいと思いました。
今もってチリ国内では彼の評価は2分されているということですが、少なくとも彼には政治家として国民の大部分を占める普通の労働者を思う揺るぎない覚悟があったと思います。
演説を聞いて、アジェンデ大統領の最後の、凛とした青空のような覚悟を見たような気がします。これが普通に生きる多くの弱者である国民のことを考え、覚悟して働く政治家の姿なのだと思いました。そしてチリは大国に翻弄され民主主義を手放し、1990年までピノチェトによる独裁が続いたのです。