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新津油田金津鉱場跡

興味のある方や地元の方ならご存じかも知れませんが、日本にも油・ガス田があります。

日本の石油に関する記録は意外に古く、日本書紀には、天智天皇即位7年(668年)の秋、越の国より「燃える水、燃える土」が大津宮に献上されたという記載があります。

この「燃える水」は「草生水 (くそうず)」) とも呼ばれ、もともとは「臭い水」の意味だったのではないかと言われています。

現在日本では新潟県、秋田県、北海道などで石油・天然ガスが開発されていますが、私が大学時代には近くに新津油田が稼働していたため、地質巡検などで新津丘陵を訪れては、石油の染み出す露頭 (地層の露出する崖) や石油をくみ出すポンプなどを見学したものです。

新津油田の歴史も古く、金津鉱場を中心に新津丘陵の様々な場所で採掘がおこなわれていました。1874年に初めて出油に成功して以来、1996年まで生産を続けていました。新津油田金津鉱場跡は現在国指定史跡となっています。

私が学生の頃にはまだ生産を続けていて、動力源のモーターの回転を前後の動きに変えて、それを丘陵の中に張り巡らされたワイヤーでポンプに伝え、井戸元のポンプを上下に動かしていました。

山の中に「キコーキコー」とのどかな音が響き、水と一緒に産出し、水に浮いた油をすくい取るように集めているのを見たことがあります。とてものどかな風景に見えました。

新津油田金津鉱場跡は現在「石油の里」として整備され、「石油の世界館」という施設もあります。そこに展示されている昔の写真を見ると何百という井戸が掘削され稼動していた様子が見てとれます。1917年には年産12万キロリットルの日本一の生産量を誇ったそうで。ここはかつてのアメリカ・テキサスかと思うような光景が見られたようです。年産12万キロリットルというと日産約2068バーレル。現在の南国の井戸一本でも達成できてしまう量ですが、当時の日本では大変な量であったと思います。

現在も良好な保存状態でさまざまな遺構が残されています。私も南国からの研修生を案内したことがありますが、研修生は日本の石油産業の歴史の古さに驚いていました。

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