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#012 紆余曲折レポ(2)ー「誰が手間をかけるか?」

こんにちは!
『Tokyo Scope』プロジェクト 広報担当です

今回は4月末に開催した全体会議の様子と、
具体的なコンテンツの骨格を紹介する記事の後編です!!

↓ 前編はこちら ↓


3班 ー モノ班

続いて発表したのは、モノ班です

サブスクリプション、シェアリングサービスの流行によって
所有すること、共有することについての人々の価値観が大きく変わりつつあることに注目しています

そんな彼らは
髙橋広行ほか『「持たない時代」のマーケティング −サブスクとシェアリング・サービス』CCCマーケティング総合研究所[2022] を扱いました


コロナ禍を経て広がりを見せる新しい消費の仕方―サブスクとシェアリング・サービス―について、消費者の視点から検討する一冊です

第1部(今回要約)では消費者意識の理解を試み、第2部では具体的事例を捉え、第3部で「持たない時代」のマーケティングについて考察を加えています

リサーチを経て

文献リサーチを経て、学生からは

  • 「ニュー・ノーマル」とは誰が手間をかけるか
    サブスクやシェアリングサービスは購入やセレクト、整備などを外部に依存。またセルフレジやIKEAのロールモデルは手間を消費者が背負う
    一括管理する方がラクだしローコスト、自分でできる簡単なことは自分でやる=合理化

  • 日本古来のモノを持たない(モノを大切にする≒mottainai)生活と、西欧のモノをどんどん消費していく資本主義的な生活の狭間にいる
    前者の禅的な精神とミニマリズム(環境への配慮)とは別のルーツを持つが、結果として同じ方に向かっている

  • コンテンツを一気にかつ網羅的に享受することができる
    →新たなコンテンツの楽しみ方が生まれた?(あえてアニメを1クール分観ずに溜めて後から一気に観るとか)
    →良し悪しよりも、とりあえずコンテンツに触れてみるという姿勢
    →DVD冒頭のコピーライト系の映像、小さい子はもうみないのかな

  • 人生においてお金や何でも手に入れられることよりも他人との繋がりを重視するように「豊かさ」の価値観が変化したと考えられる
    →「所有すること」一強ではなくなった

  • シェアリングサービスが流行ることで既存の実店舗が減っていくのを観測?(タワレコ、TSUTAYAとか)

などの意見が挙がりました。また先生方からは、

  • スペースやモビリティのシェアリングサービスについては手垢がついている
    グッズ、スキル、マネーのシェアリングについても取り組めると良い

  • 変容する社会の「網」=ニュー・ノーマルを規定、という視点は理にかなっている。充電器のレンタルスポットは至る所で見つけることができる

  • 地図化するのが難しいトピック(香水など、経路が目に見えないものとか)は、1人の1日の生活を追う方法も面白いかもしれない

などのコメントをいただきました!

ディスカッションの様子

4班 ー ルール班

最後に発表したのはルール班です

新型コロナの流行を経て「みんなのもの」だったものは、
感染症対策という大義名分のもとでその利用が制限され、人々は新たな〈様式〉に従うことが当たり前になりました

ソフト・ハード双方のせめぎ合いの痕跡(注意書きetc.)を見つけることで、ニュー・ノーマルにまみれた社会を改めて見つめることを目指しています

そんなルール班がリサーチしたのは
石田英敬『記号論講義 日常生活批判のためのレッスン』ちくま学芸文庫 [2020]です!

今日、メディアに媒介されて成立する
世界の意味環境一般(モノ、都市、時間、身体、欲望など)を考えることなしに
私たちの日常生活を理解し、意味の観点から捉えることは困難です

そこでこの本では、一般記号学をよすがとし、
世界の意味現象を分析する方法として成立する知;〈記号の知〉を用いて、
私たちの生活の諸現象にどのような意味のメカニズムが働いているのかについて検討しています

リサーチを経て

文献リサーチを経て、学生からは

  • 新型コロナウイルスの流行は、都市の中に「コロナ前」「コロナ禍」「コロナ後」という3つの層を生み出した
    コロナ後の今、新しく書き込まれた記号や、過去に書き込まれ、浮かび上がってきた記号は、ニュー・ノーマルを表象する記号といえるのではないか
    また、消えてしまった記号を分析することで、旧・ノーマルからニュー・ノーマルへの変遷、差異も明らかになるのではないか

  • 外部世界を伝達する役割がテレビからインターネットに置き換わったのもニュー・ノーマル?

  • Zoom:コロナの記号でまだ残っているもの
    コロナ前はSkypeがビデオ電話の象徴だった)

  • マスク消毒液パーテーションはコロナ前から存在し、日本では普段使いしてきたから生活者視点だと記号感は薄い
    対策をやってる感を演出するという意味では「記号的」なのでは?

  • 必要なくなったパーテーションはどこへ行くのか

などの意見が挙がりました。また先生方からは

  • 人間が何かについて意味付けていく
    →マスクだって普通自分の身を守るためにつけていたけど、コロナ禍では他人にうつさないようにする意味が強くなった

  • ルールは明文化されているものとされていないものがある
    どこまで紙面で扱っていくのかは再考の余地がある

  • やめられないけどなんとなく続いているものは多く、そのなんとなくに目を向けるのはいい。ただ、事例集になるのは避けたい

などの意見をいただきました


2時間半にわたるミーティング

発表、ディスカッション、フィードバックを繰り返しているうちに、
18時に始めた会議も20時半になっていました

私は昨年もプロジェクトに参加していましたが、
「いよいよ始まったな」といった具合です 笑

これからは文献リサーチを紙面に落とし込むための企画書作成が始まります

締め切りは2週間後…
面白い本をつくるために妥協はできません

「紆余曲折レポ」では、紙面作成の裏側をどんどん発信していこうと思っています

次回の更新もお楽しみに!

記・澤井雅治(南後ゼミ8期)

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