2022/04/06 君かあ

先日の日記を読み返したら、喫茶店が二つ出てくるのに
どちらのことか分かりづらいな、と感じた。
せめて名前がわかれば、と記憶をたぐって浮かぶ店名は
別の場所の喫茶店の名前のような気がした。
(そちらは母との思い出の方が強い)

アレじゃないんだろうなと、随分思い込んでいて、
『○○(地域名)、喫茶店』
で検索しても出てくるのは、当たり前だけど今営業しているカフェばかり。

モヤモヤするから、ダメもとで浮かんだ名前を入れたら、
見たことがある名前とともにエッセイのような、
インタビュー記事のようなページに行き当たった。

どういうことだ?
と記事を読むと、
あの閉店してしまった方の喫茶店は、
その記事で取り上げられている人の父親がオーナーだった、
ということがわかった。

えー?!
と頭がくらくらした。

記憶の中には動く影程度にしかない、喫茶店のカウンター向こうのひとが、
全く知らないわけじゃない人と繋がっていたから。

君んち関係だったのかよ。

その人、というのは地元の同窓生で、
料理人として大成した、とだいぶ前からきいていた。
当時直接のつながりはないけど、私の友達のうちの顔が広い子の友達、
だったと思う。
色白で髪の毛がかなり明るい栗色をしていて、
飄々とした雰囲気、
友達を挟んで会話を聞くと、なるほど話しやすい人だな、と
接点があまりないにも関わらずこの程度は思い出せる、
やや目立つ部類の人だったと思う。
当時を思い出すとその人にオーナーシェフをやれるほどの熱意があったのか?
と思ってしまうほど、
その人と『料理』は結びつかなかった。
何か突出していれば、噂程度でも伝わってきたと思うから。

ああでも、家の事情(飲食店経営)を知っている人なら、
納得したのかもしれないのかな。

奇しくもその人の父親、つまりあの喫茶店のオーナーが亡くなったのは、
私のお父さんが急逝したのと同じ時期だった。

店の閉店がいつなのかはわからない。
病気ならば、闘病のことを考えると
店の閉店時期はもっと前だったかもしれないけれど。

私はお父さんとの思い出の喫茶店がいつのまにか閉店していたことが寂しかった。
その人は、父親の思い出が残るお店をたたんでしまうことは、
きっととても辛かったろうと思う。

全く知らない人が営んでいたわけではなかったから
それに気づいたらやたらと気持ちが揺さぶられる。
(田舎だから地元民の可能性がないわけではないだろうけど、
それでも地元の人全てを知っているわけはないし。)


これを話しあえる当時の友達は僅かしかおらず、
今は連絡が容易に取れない。

だからここに書いておこうと思った。

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