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2024/06/25 最後まであったかいままにしたい

目覚ましより早く、4時過ぎに目が覚めたのでそのまま起きてしまうことにした。
乗る電車も一本早くなった。どうせ予定していた電車の前後2つくらいかわっても到着時間は変わらなかったし。
最後のバスに乗り終えたらバス停の近くで従弟が待っていてくれた。従弟の車で斎場へ向かう。

お坊さんは呼ばず、近しい親族とのお別れと納棺までをこの斎場で執り行うとのこと。

控室に叔父さんは寝かされていたけど最初から白布をとって顔を見ることができなくて、お線香をあげて叔母さんと少し会話をしていた。
そろそろ叔父さんの着替えで移動させますので、という連絡が来た頃にやっと布をあげて顔を見せてもらった。

記憶の中の叔父さんとほとんど違っていたから、一瞬
「え?」と思ってしまった。
叔父さんというより、写真でしか知らないお祖父ちゃんに近いとすぐ思った。
5年前は痩せておばあちゃんに似てきたなあと思っていたけど。
もともと四角い印象のあった顔の輪郭は、更にやせこけ顎に向かってシャープになって、前歯はなくなった部分に肉が落ち込んでいる。
肌の色が驚くほど白かったのは血が通ってないせい? 色黒とまではいかないけれど活動的な肌をしていたんだけどな…。
トレードマークの眼鏡がないのは仕方ないとして、髪の毛も兄弟の中でふさふさしていたほうなのに、前のほうはほとんどなく、かろうじて残っている後ろのほうは真っ白。肌と同化しているみたいにも見えた。

納棺前のお別れで、遺族が最後に旅したくをする、という説明をもらう。
会場に行くと、叔父さんの頭が美容院のシャンプー台のようなところに入れられていたので(入れ物がピンクだったし)
なんだろう…とみんな思ったんじゃないかな。知ってたのかな?

髪の毛を軽く洗う、白い足袋、脚絆をはかせる、手甲をはめさせる。
そういう死出の旅支度を最期に家族がしてあげて送り出しましょう、
という斎場の主旨らしい。

私は喪主のいとこに小声でそれを辞退することを伝えた。

ものすごく冷たく保存されたからだを最後の思い出にしたくなかったから。
かたくて、つめたくて、もう絶対にこれは人の肌ではない、
という感触を、私は父の遺体を触ったときに知っていた。
ドライアイスでぎっちり冷やされた父の体に、
本当に最後だからとそっと触ったとき、人なのにそうでないモノと感じて、
あっ、とはじける様に手を離した。
その様は人に触れたときにしていい行為には見えなかったと思う。
それほど、別のものになっていた。

それを最期の思い出にしたくないと、
数年前のおばあちゃんのお葬式の時は絶対に触れないようにしていた。
意識がない中、握ってくれた手の感覚を忘れたくなかったから。

叔父さんも5年前の墓じまいで歩きづらそうにしていたところを手を引いてあげた。叔父さんと手をつなぐなんてもう子供のころ以来だったし、
その時の感覚を最後にしたかった。

旅支度をみんなでしてあげましょう、という斎場の心遣いは
私には、もうそんなに冷たい思い出を残さないでやってよ、と悲しくなるばかりだった。

私がやれたのは、綿棒に水を湿らせたものを口に含ませてあげること、
体の周りにお花を敷き詰めること、みんなでシーツを持ち上げて
棺に入れてあげること。

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