2022/04/01 駅のそばの喫茶店

駅とか駅のそばの喫茶店とか、そういうものに郷愁を感じるのは
そこでの思い出が少なくないからだと思う。

地元の駅なので、スタバとかタリーズとかではない。
チェーン店のファストフードが入ってたこともあったけど、
駅舎の何回かの入れ替えで無くなってしまった。
都内のように5分か10分では次の電車は来ないようなところだから、
喫茶店があるのはとても有難い。

電車を待つ時間潰しであるし、
みぞおちに重いものを抱えて実家に帰る前の
ひと呼吸置くためのセーブポイントになったり。

一階が店舗で二階が小さめの喫茶店になっていた建物が地元の駅のそばにあって、
そこから上りの電車に乗る前に窓際のカウンターでアイスティや
コーヒーを飲んでいくことが多かった。
親戚と入ることが多くて、一人で入ることは少なかった。

カウンターに座ると大きな窓から駅前のロータリーが見下ろせた。
タクシーがポツポツと客を乗せて走り出していく。
そういう単調な動きを見ながら、
あと何回ここに来れるだろうか、と考えたりした。

ロータリーの周りにもいくつか店舗の入ってる三、四階建ての建物が並んでて、
小さい頃はそこの二階にも喫茶店が入っていた。
お父さんによく連れてきてもらって、
クリームソーダを飲ませてもらった。
お父さんは本屋に用事だったり、単にドライブしたかったりなのか
よくそこに来ていたと思う。
コーヒーを頼んでタバコを燻らせ、買った本や新聞を読んでいた。
ドアの近くの角か、その並びの窓際の席に着くことが多かった。
その窓際から、クリームソーダが届くまで
やはりロータリーに入ってくる車やバスを眺めていた。
差し向かいには先述の喫茶店の入ってる建物が目に入る。

その喫茶店は相当前に無くなっている。
中は違う商売の店がはいったようで、
何をしているかはよくわからない。
興味がないから覚えてないのかも。
お父さんとの思い出のある喫茶店では無くなってしまってるから。

午後の時間帯にその地元を離れる時、
周りの建物の側面には傾いた太陽の光が反射して眩しいのに
そのロータリーは喫茶店の入ってる建物の影が落とされて暗くなる。

その景色を眺めてると実家や地元での戻らない日々が浮かんでは消えていく。

これから電車に乗って自分の生活する場に戻るというのに
やたらと寂しくなってしまって
でもここにずっと居られるわけでもない。

離れ難い気持ちと、諦めろという気持ちが
ぎちぎちに引っ張りあっていた。

電車の時間近くになって、そろそろホームに向かうか、
と親戚に促されて我に帰る。
引っ張りあっていた二つの気持ちがぎゅっと固まる。

いつも鈍く重いそれをみぞおちに抱えて
その喫茶店を後にしていた。

サポートで日々の制作時間が増えます。どうぞよろしくお願いします