PureJapaneseド変態解釈

さて、前回の個人的な解釈については言わば「ホワイト立石ヴァージョン」であります
今回は角度を変えて完全に立石が日本語OSに乗っ取られたサイコパスであるという想定の元で語っていこうと思います。
ご本人が伝えたいこと、メッセージなんて二の次です。映画は受け取った側が各々感想を育てて楽しむ娯楽でもあると思うのですよ。作者の意図を述べよなんて大体ラスト5行目くらいに書いてあるしその話ばかりしてもつまんないでしょ。

そんなわけでバッシバシ行きますよ!コメンタリー上映観に行くまで時間がないので!

ここから下はバレバレネタバレしとりゃす
「上等だ!」と受け入れられるかただけお入りくださいね



立石は、日本をルーツに持った人物だ。しかし法律で花火が禁止されたという地域で英語を話し生活をしていた。それが生まれたときからなのか、ある程度自我が芽生えてからなのかはわからないが、小学生の頃には日本へ引っ越し、不便無く日本語を使い生活していたことを考えると、恐らくアメリカで生活していた時代も日常的に日本語を使用していただろう。ということは「日本語OS」「英語OS」の2つがこの時立石を乗っ取り動いていたのだと考えることも出来なくはない。

違和感なく日本語を使いコミュニケーションを取る少年立石。
しかし彼の中の「英語OS」は日本という国で暮らしていくのには目立つし、「日本語OS」からしたら完全に邪魔である。「日本語OS」だけを唯一搭載した小学生が鏡を反射させ、まるで刑事ドラマの取り調べのように光を当てる。正体を現せ、と。
そして鳴り響くホラー映画のような不穏な音楽。大事なルーツなのよ、と母に語られたあと、もしかしたらそのルーツに興味を持ち、日本の文化に傾倒していったのかもしれない。そうして小学生ながらに「日本語OS」に乗っ取られながら、本能を隠していた少年は「僕は日本人だけど…」と主張をし、第一の殺人を犯すと同時に快楽に目覚める…それが日本語OSの器である立石であるとするなれば。

公式サイトの立石のトリビアを見るとエア切腹は「趣味」である。趣味。
ちなみにこの拙い文を読んでいただいてる素敵な皆さんのご趣味は何だろうか?それはどのくらいの頻度で行うものなのか。
旅行のようにある程度計画をたてないと行えないようなものでなく、たとえば家に楽器がある音楽が趣味のひと。部屋に防音効果があって、仕事や生活をこなした後に残る時間で行える趣味。週1か少なくとも月1くらいで楽しむのではないか。

そう、趣味なのであのラスト近くのものすごい形相のエア切腹も、彼にとっては"日常"なのだ。
終わって命が果てたと自ら想定してからの、起き上がった瞬間のあの恍惚としたドエロ…もとい、艶っぽいような、欲望を解き放ってすっきりしたような顔も、日常。けしからんな立石。今度切腹するとき呼んでくれないか立石。エア介錯するから立石。

…話が逸れた。
「僕、エア切腹が趣味なんです」って職場の全然何考えてるかわからない眉目秀麗な男に打ち明けられたら震えて一週間くらい夜も眠れずに過ごすと筆者は思うが、そもそも三島を尊敬している立石なので、切腹という儀式については元々憧れのようなものがあるだろうと思われる。
そして彼にはもっと凶暴かつ残忍な願望がある。そう、殺人への衝動。

エア切腹は、「擬似殺人」である。

しかしどんなに人と接することを極力避けたとしても、ある程度社会とかかわり生活して行かなくてはならない。
サイコパスに見える割に理性的にセーブして周囲に影響を出さないのは何故か。「英語OS」が頑張っているからだ。越えないようにする方が難しいのはそれ程日本語OSが彼を蝕んでいるからに他ならない。

そして成人してからはその日本語OSとの同化と欲望に磨きが掛かり、隙あらば叶えていく。スタント時代の殺人も言わば「日本語OS」による「英語OS」への故意の攻撃である。最初の殺人のバックで流れていた音楽の中で、目玉に槍を刺しながら笑っている意味をどうしても考えてしまう。

しかし「事故」と処理されれば人を殺しても罪に問われない。
そうしてその場しのぎの、「日本語OSが立石の口を借りて発した虚言」が当たり前になり、バレなければそこに留まり、バレそうになればエア切腹で禊をして生活をリセットし、場所を変えて生きてきたのだろう。

隆三も公民館で三島をディスりさえしなければ死ななかったかもしれない。
三島の話を隆三がするとき、またあの不穏な音楽が流れる。尊敬する師をそのまま言いたいように言わせておくのは武士の名折れとでもいうように。
バイクに乗るまでは必死に一線を越えないようにしていた立石を急な眩い光が襲い、その理性が負けた瞬間、唸りをあげたバイクから落ちた隆三が亡くなったのは偶然ではないのだ。

日本語OSに乗っ取られた立石は、アユミに本当のことを話して、と言われても毒を盛られたと言わされ口に出した自分を信じ切ってしまう。アユミの助けになるべく、黒崎事務所へ乗り込み、「隆三を殺そうとした黒崎」を相手に大暴れし、「これ以上誰かを傷つけたら許さない」というのは立石の人間としての本音なのか、それとも…。

刑事が訪ねてきた時も、虚言を重ね正当防衛とうそぶいたが、結局仕事は解雇され、居場所を失った立石は、家財の荷造りもし、おそらく江戸ワンダーランド周辺から去ろうとしていたのだろう。
日本文化に傾倒した者らしく、最後に御世話になった神社へお詣りとご挨拶を、と行った先で偶然アユミに助けを求められた。

女子供に力を請われ、「武士」であろうとした立石が断る理由はない。そして駄目押しの「全員殺しちゃって良いから!」である。
こうして立石は「日本人の美徳である死ぬ覚悟」で以て主君と自らの快楽のために働くのだ。

しかしそうして迎えた覚悟の上での死の間際、思考を巡る言語は英語。
「日本語OS」から立石が解放された先には何が遺るのか…。

モノローグが語られた後に映し出される舞台に芽吹く新しい命。白いワンピースでアユミが嬉しそうにその新芽が生えた神社へ向かうラスト。白は純粋=pureの象徴。そして口ずさむのは立石が歌っていた鼻歌のrow your boatなのだ。



はい、こんな感じで全然違う着地になりましたが、同じ人が別の解釈してもこうなるのだから本当に面白い映画だと思うよね。全人類観ようね。


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