字書未遂

字書きになりたい

ふとした時にそのような思いが浮かびハッとする。自身の今の様を見ていかに字書きが程遠いか、その現実と理想の対比に頭を悩ませるのだ。
私にとって文章とは恥の現像である。頭の中で彷徨うだけに留めておけば良いものを、その時の気分と言うものだけで残してしまう。いざ人に見られたらどれだけ浅く雑で拙い文章であるかも考えずに。

私は字書きである。外面上そのように通っていると言うだけであり、自身の認識としてはただの穀潰しである。週に幾つか、コラムというものを数行渡し、呑めば無くなるようないささかの銭を受け取るだけの生活をし、この古宿の2階から追い出されるのもあと幾日か、そう思いながらもかろうじて長々と居座っているのだが。

さて、字書きになりたいという想いであるが、今でも立派な字書きではないかと言われれば字書きではあるのだろう。字を書くことでいくらかの生活をおくれているのだから。しかし、このたった数行ですら私にとっては恥の現像なのである、書き終える度に頭を抱え、自身の顔を真っ赤な鬼灯のように染めながら再び筆を執る。およそ数行を書くには過大な労力をもって筆を動かし、出版社の者が受け取りに来るタイムリミットというものを迎えるのである。

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