新聞の力――――文章を書くことは自己みつめる機会にも

第78回

難聴ソルのゆんたくTime

 

2017(平成29)年11月23日 島原新聞掲載

 

2010年8月24日に私が島原新聞に投稿してから7年半が経ちます。この間にいろんなことがあり、いろんなテーマについて書いてきました。私の思いをその都度たくさんの方に読んでいただき、本当にありがたいことだと思っています。

 

私の新聞デビューは島原新聞社のポストに入れた一通の手紙からでした。愛犬家から見た犬の飼い方について是非言いたいことがあったので、いてもたってもいられず書いたものを走って持っていきました。その時は匿名で出したのですが、それが思いがけなく新聞に載ったのです。その時、新聞とは、一人の意見でもきちんと取り上げてくれるものだと嬉しく思いました。自分が書いたものが活字となり、新聞の一部として印刷されているのを見て改めて自分を客観的に見ることができました。不思議な感覚を味わいました。

 

と同時に、多くの人に伝える情報源としての新聞の力を再認識しました。そこで、私としては、聴覚障害のことを知っていただくきっかけにしたいと思い、アポも取らず島原新聞社へ走り、そして、事務所のドアを叩きました。いま思えば無謀なことをしたなと思います。

 

そのとき初めて対応してくださったのが今でも担当してもらっている竹中さんでした。私の話をじっくり聞いてください、その場で新聞用の写真を撮ってくださいました。そのときの写真が今でも使われています。

 

始めた当時はこんなに長く書き続けるとは思っていませんでした。自分の意見や考えを文章にすると自分の考えがまとまり、伝えたいと思うことが明確になります。全体像が視覚的にも伝わるので、読者の理解も深まります。文字情報や文章にはそんな力があります。私はその新聞の力を借りて聴覚障害のことを発信してきました。書き始めた頃はこんな風になれば良いなと思うことや社会に望むことをテーマにしていました。そのうち私があれば良いなと思うことに賛同してくれる方が多く現れ、かつ具体的な行動の後押しをしてくださるようになりました。思いがけなくありがたいことです。

 

新聞にも書いたことで、一つの大きな流れが生まれて、耳マークの普及、人工内耳の公的助成、文字情報利用の促進など、具体的な成果が上がっています。夢見ていたことが次々と現実となりました。私が伝えたいと思っていたことが島原新聞を通して、多くの人に受け入れて頂いた結果でしょう。

 

書き続けることで、私自身も成長していると思います。記事を書くときは、主観的なことだけではなく、客観的事実も必要となってきます。

 

新聞を書くようになってからは人の意見や考えをじっくり聞くように心がけるようになりました。

 

書く作業はとても楽しいし、また自分自身を見つめ直すいい機会になります。ある種の自己カウンセリングになると私は考えています。

 

新聞には、テレビやラジオとはまた違った力があります。島原新聞は地元に愛される、なくてはならない情報源です。私の活動は島原新聞を情報の発信源として島原市内そして長崎県内へと広がっていったものばかりです。地元新聞の力の大きさを感じます。私はこれからも聴覚障害に限らず、様々な思いを書いていきたいと思います。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

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