祖母は駆け込み寺のよう~楽しい時も辛い時もそばに~

第67回

難聴ソルのゆんたくTime

 

2014(平成26)年10月19日 島原新聞掲載

 

一昨日のこと。いつものように祖父母の顔を見に行った。すると、いつもと違い、祖母が背伸びをしてお茶をいれていた。あれっと思い、よく見ると、いつもより小さくなっていた。ビックリして「おばあちゃん、ちょっと縮んでない?」と尋ねると、「そうなのよ。肩を骨折して3か月くらい入院していたら、縮んでいたのよ」と笑いながら答えた。私はハッとした。急に祖母が年をとったということを実感したのである。

 

私の祖母の名前は、佐和子。曾祖父が平和を補佐するようにと、この名前をつけたそうだ。祖母はこの「和」という字が大好きで、その和を保つのが自分の使命だという。そんな祖母もこの10月で87歳になる。

 

私は、小さいころから祖母が大好きだ。小学校時代は福岡県久留米市に住んでいたのだが、夏休み、冬休みは、ほとんど島原の祖父母の家で過ごした。また、祖母が久留米に遊びに来た時は、もう帰らないで欲しいと別れ際は大変な騒ぎを起こしたものだ。私にとっては、生まれた時から今に至るまで、本当にかけがえのない存在である。

 

私は大好きな祖父母と旅をすることも多い。今思えば、旅をする機会が多かったのは、祖父母が元気でいたからだ。4、5年前になるだろうか?私は祖母と祖母の友人3人で飛鳥Ⅱでの船旅をした。その中のひとコマが忘れられない出来事となった。

 

ある時、船の甲板のプールの周りで、お祭りが催された。私は祖母が新調してくれた浴衣を着てウキウキして参加していた。すごく盛り上がってきたときに、ボディペインティングにフンドシ姿の男の人が2人現れ、ちょっとしたパフォーマンスをしていた。と思ったら近くにいた浴衣姿の女の人をプールに落とそうとしているではないか。浴衣の人が嫌がっているように見えたので、私が代わりにと、とっさに思い、身代わりになってプールに飛び込んだ。もちろん浴衣は台無しである。観客は喜んでいたようではあるが…。

 

その後、祖母のところに戻って事情を説明したところ、祖母は「なんで、そんなことをしたの」と腹を立て、一言も口をきいてくれなくなった。気まずい雰囲気で夕飯を済ませたところ、旅行会社の担当者がやってきた。「昼間は盛り上げて頂きありがとうございました。いい写真ができましたのでプレゼントします」と言って1枚の写真をくれた。これをきっかけに祖母の機嫌はなおり、あとは楽しい旅となった。今思えば、プールでの出来事は、旅行会社の企画の一環だったかもしれない。もらった写真をよくみると、あの浴衣の女の人は下に水着を着ていたのだから。

 

祖母との楽しい思い出は沢山あるが、祖母は楽しい時だけ一緒にいた訳ではなく、私が辛い時も苦しい時も側にいてくれた。

 

登校拒否をしていた高校時代も、そして精神的に不安定になって、すっかり体調を崩した時も、祖母の家で十分心を休ませてもらった。私が何も言わなくても、黙って私の好きな料理を作ってくれた祖母。今思えば、先の見えない状態の私をよく引き取ってくれたなぁ。私にはできないかもしれないと思っている。

 

私にとって祖母は、いつでも駆け込み寺のような存在である。精神的に辛く、どうしようもない状態になっても、優しく受け入れてくれる存在である。

 

今回、急に年をとったような祖母を見て、とてもショックだった。祖母は、いつまでも変わらないと思っていたのに。いつまでも元気でいてくれると思っていたが、後ろ姿が小さくなっているのを見ると確実に年をとっていることを実感した。今までは、祖母がいつも私のペースに合わせてくれていたが、これからは私が祖母のペースに合わせよう。祖母は自分から「こうしてほしい」と言わない人なので、私の方から心を察して、今後は私が支えたいと思う。私が何も言わなくても祖母はちゃんとわかっていてくれていたんだと、今になって、そのことが本当に有りがたいと感謝している。

 

おばあちゃん、元気で長生きしてね。来年の春は一緒に京都の桜を見に行きましょう。

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