妹の優しさを胸に~人工内耳手術にのぞむ~

第50回

難聴ソルのゆんたくTime

 

2013(平成25)年10月12日 島原新聞掲載

 

私には一つ下の妹がいます。幼い頃からずっと仲良しです。今はベリーダンサー「キャラバン・モナ」として長崎県をはじめ九州一円で活動しています。姉の私が言うのも何ですが、表現力がとても素晴らしいのです。三児の母で家庭を大事にしつつ、又自分のやりたい事にもしっかり力を注いでいる妹。そんな妹のことを誇らしく思います。

 

実は、今月、私は人工内耳の手術を受けることになりました。人工内耳とは内耳の蝸牛に電極を接触させ聴覚を補助する器具(ウィキペディアより)のことです。手術日も近づいてきて、「どんな音が聴こえるんだろう」というワクワク感と同時に頭蓋骨に穴を開けて手術を行うことに対しての不安もあります。また、手術後は音を入れるリハビリを続けなければなりません。リハビリをする際には昔聞いていた音を聞くと良いとのことだったので、そのことを妹に話すと「私がどんどん話しかけるから昔から慣れ親しんだ私の声を沢山聞いてね」と励ましてくれました。本気で私のことを心配してくれている気持ちが伝わり、胸がいっぱいになりました。

 

思い起こせば、昔から妹はいつもそばに寄り添ってくれていました。小学生の頃、私は今の耳かけ式の補聴器とは違って箱型の補聴器をつけていました。この箱型の補聴器は今のスマホ大の大きさで厚みもあり、小学生の私には重いものでした。母が作ってくれたチョッキみたいなものの真ん中の胸ポケットにいれ、そこからイヤホン状の線が出ておりそれを耳につけていました。今のスマホで音楽を聞いているような形です。当時そのような補聴器をつけている子どもは周りにおらず、冷やかされたり、引っ張られたりすることもありました。「なぜ私だけこんなことをされるんだろう」、「なぜ私だけこんなものをつけているんだろう」と悲しいというよりも恥ずかしい気持ちの方が強かったのが印象に残っています。

 

私が冷やかされて泣いていると、いつも妹がやってきて相手が高学年の男の子でも「うちのお姉ちゃんをいじめないで」と堂々と立ち向かっていっていました。妹は私が冷やかされるので心配し私のクラスにしょっちゅう来ていました。よっぽど心配していたのでしょう。あまりにも頻繁に来るので担任の先生が妹の席を準備して下さった程です。

 

今思うと小さいながらにお姉ちゃんを守ろうと一生懸命だった妹の気持ちがとてもありがたいことだったなと思います。別のある時は、近所の男の子が「俺の兄ちゃんは○○を持っているんだぞ」と自慢しているのに対し、妹は「うちのお姉ちゃんは補聴器をつけているんだよ」と言ったこともありました。妹は今も昔も私の強い味方です。

 

ですが、一度だけ耳のことが原因で大きな喧嘩をしたことがありました。寝ているときは補聴器を外すので目覚ましの音で起きることが難しいのです。必要な時は妹が起こしてくれていました。ある時機嫌が悪かった私は二度ほど起こしに来てくれた妹に対し「放っておいて」と言って妹を無視したのです。すると妹が「お姉ちゃん耳が悪いけん困る」と言いました。口元を読んだ私は「好きでこんなになったわけじゃない」と言い返し、お互い嫌な気持ちになりました。その後、妹は父に「耳が悪いことを理由に責めてはいけない」と怒られたのです。父も普段はめったに怒ることがない人なのにこの時だけは強く怒った様です。その後は耳のことで妹と喧嘩をすることはありません。振り返ってみると、私のほうが悪かったなと反省しています。今でも私たち姉妹は仲良しです。困ったときはお互い助け合っています。妹はいつも顔の表情だけで私が聴こえないことを察知し、すぐに情報を伝えてくれる大切な存在です。父と母の教育、そして私と妹のお互いを思いやる気持ちがあって姉妹の強い絆ができてきたのです。これから先もずっと仲良くしていきたいと願っています。

 

妹がいてくれて本当に良かった。お姉ちゃん、人工内耳の手術頑張ってくるね。

 

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