熊本地震現地レポ~聴覚障がい者の現状~緊急視察
第70回
難聴ソルのゆんたくTime
2016(平成28)年5月3日 島原新聞掲載
4月21日昼過ぎ、私のスマホが鳴った。何かな?と見てみると、熊本フェリー及び九商船は、熊本港施設の修理完了に伴い、4月22日から平常運航になるとのこと。
「現地入りしよう」と決めた。テレビだけの情報ではなく、自分の目で確かめたかったのと、難聴者仲間がどうしているのか気になっていたからだ。
22日午前10時15分発のオーシャンアロー(熊本フェリー)に車で乗り込む。混んでいるのではないかと思っていたが、半分以上が空いている状態。熊本は有明海を挟んで反対側の県。度々行っているが、こんなに緊張するのは生まれて初めてだ。
現地の難聴者のニーズが把握できないので、熊本県難聴者中途失聴者協会(以下熊本難聴協会)の宮本せつ子会長のご主人に連絡する。
ご主人とは去年の全難聴九州ブロック佐賀大会の時に偶然にも席が隣同士になり、同じ人工内耳装用者同士ということもあり意気投合して、フェイスブックの友達申請をさせて頂いた。「熊本地震の視察をしようと今島原港を出たところです」と連絡すると、「そうであれば長嶺南にある熊本県聴覚障害者情報提供センターに来てほしい」とのこと。
午前10時50分に港へ着く。熊本港を出て熊本駅方面に向かう。崩壊した家はなく、時折ブルーシートを屋根にかぶせてある家が数軒あるのみ。
駅から市内までが混み始めたが、午前11時55分には熊本県聴覚障害者情報提供センターに到着。島原港から2時間経たないうちに着いた。
まず、せつ子会長たちと話をする。事務所にしている自宅の2階の本棚の本が全部倒れ、さらには買って1か月も経たないFAX機が壊れて使えないので、会員の方のFAX番号を借りて対応しているという。片付けたいが、今は安否確認や事務作業に追われているのでそれどころではないとのころ。確かに、連絡が鳴り止まない状況。みんな、不安だし情報が混乱している。地震発生から約1週間たつが、ライフラインが復旧しておらず、一度もお風呂に入れていないという。銭湯に行っても300人待ちの状態だ。
午後1時半から会員さんと一緒に、避難所となっている長嶺小学校、長嶺中学校、託麻西小学校を回る。
避難所での仕事は、本部にテレビがあるかどうかの確認。あったら、字幕をつけるように促すこと。聴覚障害者は、ラジオでは情報を得ることができないからだ。
本部の許可をもらい、避難所の方に「聞こえでお困りの方はいらっしゃいませんか?」と書かれたボードを持って声かけをし、困っていることなどを伺い、また多くの方の目につくところに耳マークポスターと情報センターの住所を書いたA4用紙を貼った。
最初に行った長嶺小学校の体育館には、入り口に大きめのテレビがあった。字幕を促して、避難所の本部の人にリモコンで字幕を出してもらった。声かけをしていると、旦那さんの補聴器乾燥機が水に浸ってしまい、電池が欲しいとのこと。本部に言って電池をもらう。
次に行った長嶺中学校の体育館には、舞台上に小さめのテレビがある。ここも字幕が付いていないので、リモコンで設定しようとしたら、字幕のボタンがない。本部に字幕を付けてもらうよう依頼する。ここには耳の遠い年配の方はいるが、周りの方の協力があるとのこと。周りの人が聞き取りづらいことに気づいて連携がとれているのはすばらしい。ここでも耳マークポスターと情報センターの連絡先を書いた紙を貼る。
午後3時過ぎに急ぎ足で託麻西小学校体育館に行くと、体育館が地震で崩壊してしまい、テレビもないとのこと。
皆さんは校舎や廊下に避難していた。声かけをしていると、高齢の男性が靴箱のところに一人座っていた。彼は高齢で耳が聞こえなくなっているけれど、補聴器は使っていないとのこと。周りの人とのコミュニケーションがとれていないようだった。電話お願い手帳を渡した。これはNTTが準備しているもので、最初のページに言葉と絵の描かれたカードで意思表示をするものである。この中に「いま何が起こっているのか教えて下さい」というカードがあるので、これを周りの人に見せて状況を教えてもらってくださいとその人に伝える。
教室の方へ行くと手帳を持った高齢の男性がいた。奥様も付いていたので、奥様を間に挟んで「電池の予備はありますか?」と聞いたところ、「ある」とのこと。「何か情報保障が必要であれば、熊本県情報センターに連絡してください」と連絡先を書いたメモを渡す。
午後4時から会議が水前寺の熊本障がい者情報センターで行われる予定。託麻西小学校から熊本障がい者福祉センターへ車で向かったが、渋滞でなかなか先に進まない。通常であれば15分ほどで着く場所が3時間かかった。
会員さんから「帰りは大丈夫か」と聞かれたが、本部でのやり取りも聞いてみたかったので、帰りは陸路で帰ろうと決心する。会議では具体的な役割分担が話し合われていた。
午後7時30分、マイカーで熊本を出発。市内から植木インターまで約10キロ。今まで経験したことのない渋滞に巻き込まれる。57号線と3号線を使ってのルート。通常なら30分で着くところが、3時間かかった。
深夜0時過ぎ、島原の実家に着く。海路なら2時間かからない場所だが、陸路では倍以上の4時間半もかかった計算になる。
≪所感≫
4月24日のNHKの番組「ろうを生きる難聴を生きる」を見て、熊本ろうあ協会の会長さんが「ろう者は健聴者が多い避難所でどうしても遠慮して孤立してしまう」という話をしておられた。
大きな災害時には、障害を持っていない方も、多くの情報の中で混乱が生じるが、難聴者は音での情報確認ができない。それが大きなネックとなる。
現地に行った折、現場の手話通訳者に「聴覚障害者が多い避難所は福祉避難所の他にどこがあるか?」と聞いたところ、多くの聴覚障害者はほとんど車で家族と避難しているケースが多いとのこと。現場にいても情報が入ってこないし、迷惑をかけると考えてのことのようだ。
人工内耳を装用している子どもさんを持つお母さんは、避難所にある自分たち家族のスペースに耳マークのポスターを置き、「人工内耳装用しています」という腕章をつけることで、聞こえないことをアピールでき、周囲からの配慮もいただけたとのこと。
今回、自ら出向いたことで、どこに何が必要なのか、聴覚障害を持っている人が何を必要とし、困っているか、直接お話を伺うことができた。
こういった話を、冷静に客観的に分析し、緊急災害時におけるバリアフリー災害復興への構築につなげていきたい。
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