富士は見えない

2年ぶり…いや3年ぶりの沼津だろうか。
改札を出た私をのっぽパンが迎えてくれる。
初めてこの駅に降り立ち、手前の弁当屋で売られていたぬまっ茶を買った時のワクワクが懐かしい。ご当地商品が棚に陳列されている光景は、自分がその地に立っていることをいつも実感させてくれる。

駅前には相変わらずテーマパークの入場ゲートのような人工の違和感が漂っている。
カラフルな笑顔を咲かせたキャラクターたちが貼りつけられた巨大な看板とラッピングバスは、閑散静寂とした地方都市の景観に浮かぶようにその存在を主張している。
駅以南の街は見た目寂しいながら、仲見世を中心とした飲食店街や駅チカの宿泊施設などを備え、商業施設が鎮座する北側にはない、かつて移動の要所として栄えた面影を残している。
駅前のキャラクターたちがマイブームから過ぎ去って2年程が経つ。アニメ終了からも同じぐらいの時間が過ぎたが、街頭に並べられたキャラクターののぼりや、客引きのために置かれたキャラクターグッズが目立ち、それは足繁く通うファンが未だ多いことを物語っている。
かつてはアニメの新シリーズが始まろうものなら、仲見世と国道沿いの全ての店先に告知ポスターが貼り巡らされ、アニメや声優の番組で取り上げられた商品は平日であっても満員御礼の行列が絶えなかった。そのうち沼津市がこの熱狂に目をつけ、市の観光大使として彼らを任命するまでそう時間はかからなかった。市民は公認マスコットと言わんばかりにとりあえずキャラクターグッズを軒先に掲げ、市内にはラッピングバスやグッズを敷き詰めたタクシーが巡回し始め、それはさながら、街がアニメに呑み込まれるような光景であった。

しかし今、目の前のアーケードでは店のオーナーたちが忙しなく開店前の準備運動を進めている。年齢とは不釣り合いな機敏な動きからは、その体に染みついた彼らの日常が感じられるが、そこにアニメが落とす影はない。ただ淡々と街に生きる人々の人生だけが時計の針を前に進めている。
私が夢の国のハリボテのように眺めていたその街は、街に生きる人々にとって当たり前の現実で、街がアニメの舞台になったところで観光商品が増えたにすぎず、彼らの現実までが作り変えられるわけはない。
街がアニメに呑み込まれるなんてとんでもない。
ここは今も昔も変わらない彼らの住む家である。
街に生きる彼らの目には、かつての熱狂がどのように映っただろう。

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