江戸時代にハマった
江戸にハマっている。とちらかというと前は大正モダンが気になっていたけど、いまは江戸だ。江戸時代はおもしろい。一番の推しは葛飾北斎。富士山に波がサバーンってなってるやつもいいけれど、私の心を捉えて離さないのは『北斎漫画』だ。
江戸の「ふつうの人たち」が生き生きした姿が、漫画らしくデフォルメされて描かれているのが好きだ。ごろりと寝転んで巻物か貸本だかを読んだり、隠し芸をやってみたりしているシーンはとくに愛おしい。魚や花や動物の種類をこれでもかと描きあげていくエネルギーも凄みがある。なにもかもを描いてやる、それもうまく描いてやるんだという野心と、描かれるタッチの茶目っ気がたまらない。絵の手習帳として描き始めたものらしいが、売れて売れて10巻以上もある。
『北斎づくし展』もよかったしすみだ北斎博物館もよかった。『桜に鷹』の堂々たる姿。小説のタイトルにしたらかっこいいだろうな。
序文に今でいう小説の解説みたいなページがあるけれど、あのくずし字が読めるようになりたくてくずし字の勉強を始めてしまった。漫画の中にもちらちらとくずし字がでてきてこれも気になる。
くずし字を勉強して気づいたのは、純粋な趣味としての勉強のあり方である。くずし字はたぶん役に立たない。ビジネスに一切貢献しない。
私は勉強大好き人間だが、「勉強ってなんの役に立つの?」という疑問をよくもらう。大学の教養なんて真面目にやるのはアホじゃん、という理屈だろう。これに対して、論理的思考力を…とか世界のエリートと話すため…とかいうのは私は好きではない。でも答えないといけない感じがする。
英語の勉強は役に立つと言いやすい。趣味でやってるのだとしても、役に立つことを意識してしまうし、教材もそういうふつに作られている。
その点、くずし字の勉強は役に立つか、立てられるか、その先になにがあるのかを一切考えないで済むのが最大の魅力だ。その行き止まりに、ある種のフェチシズムを感じるのである。くずし字に関してはなんの役にもたたないことがわかりきっているので「何の役に立つの?」という面談な質問を受けない。ただ、カッコいいね(笑)と言われて話が終わるから、お互いに気持ちの良いコミュニケーションができるのである。