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第三話 奪い奪われの価値

声を手に入れた女は、無言でとあるところに僕を連れて行った。それは、しばらく使われていない古びた家屋で、今にも壊れそうなところだったが、生活感があるので、どうやらこの女は此処で暮らしているのだろう。

女の子の声で淡々と話す女に、時々違和感を感じる。腐りきった僕に絶えず「遊ぼう」と声をかけてくれていた、あの親戚の女の子。ただでさえこの理解が追いついていないのに、その声で色々と言われると、益々何がなんだか分からなくなってくる。和道の人間が亡くなっていっているのに、何で僕は生きている?何で僕はなんにも出来なかった?

それよりもこの女。この女は、さっき亡くなったばかりの人間の声を使って、罪悪感はないのか……

「アンタの価値は、声だけだったようだな」
「声……だけ?」
「和道の人間には、それぞれ生まれ持った価値がある」
「全然話が見えない」
「例えば、アンタの父親。 父親はどんなところが秀でていた?」
「父? 父は……」
「すぐ答えられないのか」
「いや……」
「父親は、アンタの頬を叩いたか?」
「何でそれを?」
「わずかな傷がある」
「だとしても、何の繋がりが?」
「父親のあるものが、価値と見なされたのだろう」
「見なされたって、誰に?」
「偽無(ぎむ)だ」
「ぎむ?」
「偽無はアンタら話道師を使って、この世を壊そうとしている」
「壊す?」
「話道師は真実を伝え、心に遺るものを伝えていくのだろう?」
「ああ」
「それを心底不快だと感じている大きな存在が、偽無だ」
「その偽無は、奪えるというのか?」
「そうだ。 もうだいぶ肥えて、壊す準備はできているだろうな」
「じゃあどうすれば?」
「アンタが取り戻せ」
「どうやって?」
「アンタがその声でやっていくしかないだろう、話道師を」
「話道師を……やる?」

夢見ていた話道師。分かっている、分かっている。もしかしたらまだ希望は捨てなくてもいいのかもしれないと思っていることは。でも今、突然のように、自分じゃない声が戻ってきて。よく分からないヤツが壊そうとしていて、僕が取り戻す?そんな馬鹿げた話が本当にあるのか?

「ひとつ聞きたい」
「なんだ?」
「父は、その偽無に、何を取られたんだ?」
「それは…なんだろうね」
「あの首の痕も、その偽無ってヤツがやったのか?」
「そうやって、アンタのじいさんもやられたんだろ?」
「え?」
「じいさんは恐らく人徳だろうな」
「人徳……?」
「厚い信頼を得られる人徳」
「それを奪ったっていうのか?」
「ああ。 で、お前の父親は?」
「父は……」
「さっき死んだあの子が、アンタに必死に伝えようとした、紡いだ言葉を忘れたのか?」
「ごめんねって言ってた、っていう?」
「あれは、誰に対してだと思う?」
「それは……母親とか祖父とか親戚とか」
「馬鹿だねぇ、アンタ」
「じゃあ誰に?」
「アンタ、父親に何回叩かれた? 何回叱咤された? そんな父親の話を何で聞こうとした?」
「何回って、数え切れない。 だって、愛を感じたから」
「そんな自分の子供を叩く親の、どこが愛があるんだよ」
「そ、それは!」
「言ってみろ」

――

その時。女が発した言葉が、目の奥の奥の方に入って、脳内に伝わってきたような感覚を覚えた。そして、その光景をこの目で見たわけで無いのに、突然父の苦しむ姿が、言葉が浮かんできた。何故だろう? 目や頭に浮かぶ父は苦しんでいるのに、手を差し伸べることが出来ない。

「ごめんな……叩いたりなんかして」
「お父様……」
「お前の話はちゃんと聞いていたから」
「お父様……」
「……立派になったな」

――

思わず涙が出た。祖父や父が生まれ持った価値を、一生懸命温めてきた努力を、何者か分からぬヤツに奪われて殺された。そして僕は自分の最大価値だとも気付かぬまま声を取られて……正直、声は届けさえすればいいと思ってた。何にも力にならないと思っていた。でも今やその声が、僕の……僕のかあちゃんが産み落としてくれた、かけがえのない声。お父様と、あの日々を唯一交わしたあの声……愛しい。でも、奪われた。悔しい……

絶対、許さない……

「ようやく分かったか? お前の父親の価値は、お前や人に対する深い愛の深愛(しんあい)を持っていること。 それは、人を狂わせるほどの愛だ。過度に人を愛すが故、傷付ける事すらしてしまう、ということだな」
「じゃあそれで言うと、僕は……」
「ああ。 偽無は、価値があるものしか奪わない」
「声、がよかったのか……」
「アンタの声を聞いたことは無いが、その美しい、価値のある声を、いつかこの耳で聞いてみたいものだな」

声……まさかそんなところに答えがあったなんて。だから僕は地獄のように話し下手だったのか。そりゃあ何度やっても出来なかったのは仕方がない……? じゃあ、あの時間は、父と過ごしたかけがえのない時間は、無駄だった? いや、そんなはずは……ない……

でも、今。もし会えるなら、言いたかったな。
あの声で伝えたかったよ、僕の価値を……

「この声。 お前のものか?」
「いや」
「誰のだ?」
「残念なことに、今はもう居ないヤツだ。 恐ろしく良い声だろう?」
「やはりお前の声じゃないんだな」
「こんなか弱き女が出す声ではない、か?」
「さっき言っていた偽無に会うには、どうすればいい?」
「偽無はもうお前の前に現れないだろう。 用無しだからな」
「じゃあどうすれば?」
「お前がもう一度、価値のあるものを見いだす」
「それは……今までに奪ったことのないものか?」
「ああ」
「人徳、深愛、声……」
「大事なのが残ってるだろう?」
「……話力(わりょく)か?」
「そうだ。 それだけは努力だけで得られるものではないからな」
「努力……してきたんだけどな」
「さ、行くぞ」
「え……?」
「泣いている暇があったら、ひたすら話すまで」
「……お前は何者なんだ?」
「それを言うなら、アンタもだろう?」
「知っているだろう? 僕は和道の人間で……」
「名は?」
「え……っと」

また、何故だか分からない。和道家の前に咲いていた桜の花びらがひらひらと落ちてきたように、何かが僕の中で思い起こされた……

――

――18年前

「この子、何て名前にします?」
「うーん、そうだなぁ」
「私。 いいの思いついたんですけど」
「何だ?」
「……さくら」
「さくらって、女の子みたいな名前じゃないか?」
「いや、さくらにしましょう」
「うーん、そこまで言うなら……」

ずっとこの名前が嫌だった。女みたいだと言われた日もあったし、和道の強さに見合わぬ名前で、とてもとても。でも、和道の人間は皆、名前で呼ぶことはいつも無かった。祖父も父も名前で呼び合わなかったし、僕も呼ばなかった。いつからか、名前なんかに気をとられぬよう……いや、気をとられぬようではない。いつだって和道は、話道師は、自分本位ではなかった。自分というものを捨て、いかに話を多くの民に伝え、心に遺すか。その単純なようで、繊細なものを、絶やさぬように。存在している自分というものすら忘れて、打ち込んでいたんだ。だから、さっき。自分の名前がはなびらのように降ってきた時、気付いた。そうだ、僕はまだ生きている。僕は、和道左倉は、ここでまだ戦える。死んでいった和道の、奪われた声を……

まだ、取り戻せる……

―――

―――現在

「名は?」
「……和道さくら」
「さくらか。 どういう字だ?」
「左に倉だ」
「和道左倉か、良い名前じゃないか」
「お前の名は?」
「私は紅谷有右(くれやゆう)だ」
「その、紅谷は……」
「ゆうと呼べ。 私もお前をさくらと呼ぶ」
「わ、わかった」

「で、気が済んだか?」
「ゆ、有右も付いてくるのか?」
「何だ、不満か?」
「いや。 何でそんな構うのかなと」
「……おしくらまんじゅう おされてなくな」
「え?」

そう言って、有右は、僕を自分の尻で突き飛ばした。

「何すんだ!?」
「やったことないか?」
「ない」
「こりゃあ楽しいぞ? あったかくなるしな」
「今は痛いだけだったが?」

倒れ込んだ僕の前に有右が手を差し出した。
その手を取って起き上がると、今度は僕の腕と自分の腕を絡ませて、またもや尻で僕を倒そうとする。

「さっきから何やってんだ」
「だから、おしくらまんじゅうだ」
「それが何かを聞いている」
「押したら押しただけ、暖かくなる」
「押したら押した、だけ?」
「これは暖かくするためだけのものだ。 でもこれはひとりでは叶わない」
「誰かが押さないと駄目なのか?」
「寒いとき。 ひとりで手を温めるだろう? でもこれは皆で、皆で押し合ってこそ温まるんだ」
「皆で……」
「私はこれが今、アイツに必要だと思っている、ただそれだけだ」
「アイツって?」
「無駄話はもういいだろう」

有右は不思議なことを言う。でも、不器用ながらどこか真っ直ぐに何かを思っているのだけは何となく伝わる。苦労もしたのだろうか?色々と聞きたいこともあれば、もはや信じて良いのか、未だ分からない。ましてや何故、ここまでするのか結局分からない。

ただ、分かっているのは、
僕にはやらなくちゃならないことがある
ということ。

……和道のため、話道師を目指す。

そして、偽無から「声」を取り戻す。

僕の、僕だけの、奪われた価値を…… (続)


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